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金沢城下町の歴史~金沢の町並みは江戸時代と令和の地図がほぼ一致~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

金沢城下町の歴史~金沢の町並みは江戸時代と令和の地図がほぼ一致~

戦火を免れた金沢は、道筋が昔からほとんど変わっていません。
狭い道や曲がりくねった道が多い金沢の街の成り立ちには、どのような背景があるのでしょうか。

金沢城下町の歴史は前田利常の時代に整備がはじまる

江戸時代、金沢は江戸・大阪・京都に次ぐ人口規模を誇る大都市でした。天正11(1583)年、豊臣秀吉は北陸制圧に貢献した前田利家に金沢城を与え、明治2(1869)年の金沢城退去に至るまでの286年間、金沢は百万石の城下町として栄えてきました。

3代前田利常の時代には城下町の整備がおこなわれ、家臣が増加したことによって城下町の拡大化も進みました

町人も同様に増加しましたが、城下は地価が高く、そこに家を建てられない人も多かったのです。そのため、城下周辺の農地を宅地化し、地主の農民と町人が賃貸契約を結び、そこに住むという動きが起り、このように宅地化された農地は「相対請地(あいたいうけち)」と呼ばれました

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