目次
岡山後楽園の歴史②:造園から約3年で整った庭園
池田綱政は、城から近い旭川の対岸(現在の後楽園の場所)を造園地として定め、1687(貞享4)年から工事に着手。1689(元禄2)年には沢の池の北岸までが完成し、翌年には沢の池の北の方に敷地を拡大。延養亭(えんようてい)の原型となる建物に加えていくつかの建物を増築し、現在、後楽園の有料区域となっている部分の原型が整いました。当初は「御茶屋(おちゃや)」と呼ばれていましたが、岡山城の後ろにあることから「御後園(ごこうえん)」と呼ばれるようになります。
岡山後楽園は「座ってのんびり眺める庭」
当時の家臣は「昔この辺りにあったように稲田を造り、建物もどこにでもある茅葺きにした」と書き残しており、田畑の多い素朴な風景が広がっていたことが分かります。池田綱政は庭園を「この庭に来ると世の憂きことを忘れられる」と大絶賛。藩主の座敷として建てられた建物から「手をかけない、そのままの風景」を眺めて、そこを「其侭(そのまま)」(後の延養亭)と名付けるほど愛します。この時代に造られた加賀藩の兼六園や高松藩の栗林荘(りつりんそう)(現在の栗林公園)は歩いて楽しむ要素が強いですが、御後園は「座ってのんびり眺める庭」という使い方がされているのも特徴です。
その後も外園にあたる場所に次々と土地を加え、1700(元禄13)年には一応の完成を見せます。池田綱政は歴代藩主の中でも非常にこの庭を愛し、亡くなる半月ほど前まで足しげく御後園に通っています。
岡山後楽園の歴史③:池田継正の代で景観が変化
池田綱政の息子・継政(つぐまさ)は、20歳を越えたころから御後園を利用するようになりました。園の中央にある唯心山(ゆいしんざん)は、池田継政の代になって新たに加わったもの。山腹には唯心堂が建てられ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。御後園は他の大名庭園に比べると田畑が多く、米・麦・はだか麦・大根・藩主用のタバコなどが栽培されていました。1771(明和8)年には倹約のため、人手を減らして中央にあった田畑を芝生に変更。しかし芝生の維持管理にも手がかかったため、数年後には唯心山の東側が芝生から田畑に戻っています。現在の井田(せいでん)は、この時の名残です。
岡山後楽園で月見を楽しんだ藩主
現在は後楽園の北から東にかけて旭川の東派川が流れていますが、この状態になったのは1940(昭和15)年のことです。江戸時代は北の農村と湿地を挟んで地続きになっており、周囲は竹やぶで囲まれているだけでした。夜になれば辺りは暗闇に包まれ、誰かが潜んでいても分からない。安全面を考慮して藩主は昼間のみ御後園に滞在し、夜は城に戻ることが不文律(ふぶんりつ)となっていました。しかし8月15日と9月13日の月見の日には藩主は夜に後楽園に渡り、月をながめていました。
岡山後楽園の歴史④:明治になり一般公開が始まる
明治になり 「藩主のための庭」という役割を終えた御後園は後楽園と改称され1884(明治17)年に岡山県に譲渡され、一般公開が始まります。建物は1934(昭和9)年の室戸台風と、1945(昭和20)年の岡山空襲で被災しますが、築庭当時の後楽園を描いた『御茶屋御絵図(おちゃやおんえず)』の間取りや古い写真をもとに、その都度再興されています。
岡山後楽園のタンチョウ
現在後楽園で飼育されているタンチョウは1956(昭和31)年に中国から贈られた2羽がきっかけとなり、各地の協力で飼育数が増えました。御後園では築庭のころから鳥を飼育しており絵図にも「諸鳥留籠」が記されていますが、当時はタンチョウはいなかったと思われます。1863(文久3)年には「ツルベヤ」の表記があり、タンチョウをはじめいろいろなツルを飼うようになっていました。
岡山後楽園
- 住所
- 岡山県岡山市北区後楽園1-5
- 交通
- JR岡山駅から岡電バス藤原団地行きで12分、後楽園前下車すぐ
- 料金
- 入園料=大人(15~64歳)410円、65歳以上140円、高校生以下無料/音声ガイド=500円/ガイドツアー=無料/「お庭そだち」後楽園弁当(要予約)=1800円/「お庭そだち 四季」後楽園弁当(要予約)=1200円/「お庭そだち」梅ジャム=500円(100g)/(障がい者手帳持参で本人と介護者1名無料、高校生は生徒手帳の持参が必要)
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Part.1 地図で読み解く岡山の大地
・瀬戸内海はどうやってできた?岡山県の成り立ち
・美作はなぜ西日本有数の温泉地なのか
・岡山県指定天然記念物井倉洞はどうやってできた?
・山から貝の化石がとれる不思議
・その大きさは世界2位! 児島湖はなぜ造られたのか?
・「晴れの国岡山」は「天文王国おかやま」だった!
・笠岡市がカブトガニ有数の生息地になった理由
…などなど岡山のダイナミックな自然のポイントを解説。
Part.2 岡山を走る充実の交通網
・瀬戸大橋が鉄道と併用できた理由
・西日本唯一の臨海鉄道線「水島臨海鉄道」の変遷を知る
・わずか16年で廃線になった、幻の三蟠鉄道
・津山扇形機関車庫から見る、岡山県の鉄道の歴史
・山陽新幹線は岡山発が多い?交通の要所・岡山駅のスゴさ
・日本で最も短い路面電車が地元で愛される理由
…などなど岡山ならではの鉄道事情を網羅。
Part.3 岡山で動いた歴史の瞬間
・伝説の城「鬼ノ城」は古代日本の防衛ラインだった
・巨大古墳群からひもとく吉備国と大和朝廷の関係
・戦国大名・宇喜多直家は、邑久郡の小領主だった
・難攻不落の備中高松城を、血を流さずに攻め落とせ!
・宇喜多秀家が基礎を築き池田家が整備した城下町
・岡山藩藩主の憩いの場として築かれた大庭園・後楽園
…などなど、激動の岡山の歴史に興味を惹きつける。
Part.4 岡山で生まれた産業や文化
・古墳時代から受け継がれる備前焼
・岡山県の名産品・白桃は、なぜこんなにおいしいのか?
・蒜山原野の開拓とジャージー牛導入の歴史
・養蚕・イグサ・綿・デニム…。岡山が誇る繊維業
・瀬戸内工業地域・水島コンビナートの誕生秘話
・倉敷市が一大観光地に成長した理由
・刀工集団・長船派は、どのようにして生まれたのか
…などなど岡山の発展の歩みをたどる。
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