更新日: 2024年1月26日
岡山後楽園の歴史~岡山藩藩主の憩いの場として築かれた大庭園~
日本三名園の一つとして知られ、国の特別名勝に指定されている岡山後楽園。どのような歴史を経て、現在の姿になったのでしょうか。
目次
岡山後楽園の歴史①:風流な庭園造りが大名たちの間で流行
天下太平の世が訪れた1600年代後半、大名たちの間で風流な庭園を造ることが流行しました。岡山藩2代藩主・ 池田綱政(いけだつなまさ)も、家臣の津田永忠(つだながただ)に命じて庭造りに着手します。
岡山後楽園を作庭した池田綱政の背景
1700年代前後には世継ぎがいないことによる断絶・ 改易が目立ち、岡山藩周辺でも備中松山藩の水谷(みずのや)氏、津山(つやま)藩の森氏、福山藩の水野氏が、家督相続が許されずに改易・減封されています。後楽園築庭を志したころ、池田綱政にも男児は何人かいましたが次々と早世し、世継ぎと決めた男児は藩主となるにはまだ幼かったのです。「もし跡継ぎが成長するまでに自分に何かあれば、岡山藩がどうなるか分からない。それまでは、現役でいなければならない」という心労は、相当のものだったでしょう。政務を離れていろいろなことを忘れられる「ほっとできる空間」を求めていたのかもしれません。
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