更新日: 2024年1月26日
津山藩の蘭学者たちは日本の夜明けを学問で支えた
江戸時代、多くの洋学者を輩出した津山(つやま)藩。西洋医学を広めた宇田川(うだがわ)家や、外交交渉に活躍した箕作阮甫(みつくりげんぽ)の活躍から、津山藩と洋学の歴史をひもときます。
目次
津山藩で蘭学が盛んになった時代背景
津山藩は外様大名・森(もり)家が治めていましたが、4代長成(ながなり)の急死後に改易。代わって、親藩の松平宣富(まつだいらのぶとみ)が藩主となりました。徳川家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)を祖とする血筋ですが、2代目以降は幼少の藩主が続き、藩経営が不安定でした。5代松平康哉(やすちか)が藩政改革を試みる中で、文武を奨励しつつ人材登用を図り、学問を尊ぶ気風が養われます。この時代に、津山藩の蘭学が花開くことになります。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!