更新日: 2024年1月26日
岡山市の政令指定都市へ向けた歩み~当初は3区になる予定だった?~
2009(平成21)年に政令指定都市に移行した岡山市。北区・中区・東区・南区の四つの区がありますが、県庁と市役所は北区に置かれています。
岡山市の歴史
江戸時代の備前(びぜん)国・備中(びっちゅう)国・美作(みまさか)国では、外様の大藩やその支藩、他藩の飛び地や天領などが入り交じっていました。このため廃藩置県で、備前・備中・美作の3国内に14の県が誕生。特に備中国は藩が多く、一時期は広島県福山市(ふくやまし)の一部が編入されるなど県の変遷には苦労が絶えませんでした。紆余曲折を経て、1876(明治9)年に岡山県が成立。積極的に新政府軍に参加した功績も影響し、岡山藩が岡山県の県庁所在地となりました。岡山市が市制施行したのは、1889(明治22)年のことです。施行当時の市域面積は5.77㎢と、さほど大きな市ではありませんでした。第二次世界大戦中には岡山空襲で大きな被害を受けますが、戦後は順調に発展。周辺の市町村と合併を進め、市域が拡大します。
実現されなかった岡山県南百万都市建設構想
1960(昭和35)年、「岡山県南百万都市建設構想」が提唱されました。これは、倉敷市(くらしきし)および周辺31市町村と合併し、県南部に100万都市を構築するという大掛かりな合併案です。議会で検討が進められますが、実現されることはありませんでした。当時としては合併エリアが広すぎたこと、武家が治めていた岡山藩(岡山市)と商人の町として栄えた天領(倉敷市)では文化圏域が異なったことも、一因だったかもしれません。
岡山市は中核市へ移行する
その後、岡山市は西大寺市(さいだいじし)・御津郡(みつぐん)・吉備郡(きびぐん)・都窪郡(つくぼぐん)・上道郡(じょうとうぐん)・児島郡(こじまぐん)と合併。1996(平成8)年には中核市に移行します。
この中核市移行を受け、岡山市では「福祉区」を設定しました。これは中学校の校区をベースに市内(当時)を6区に分け、福祉事務所の管轄地域を決めたものです。おおむね、地域住民の生活圏として捉えられていました。
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