更新日: 2024年1月26日
温羅伝説と桃太郎~岡山の象徴はどのようにして誕生したのか
岡山市西部から総社(そうじゃ)市にかけて広がる「吉備路(きびじ)」は、桃太郎伝説の生まれた場所として知られています。桃太郎は、いつ、どのように誕生したのでしょうか。
目次
岡山に伝わる「温羅伝説」とは
誰もが知っている『桃太郎』の昔話。その元となったのが、岡山に伝わる二つの温羅(うら)伝説です。吉備津神社に伝わる『吉備津宮縁起(きびつみやえんぎ)』には、「崇神(すじん)天皇の時代、百済(くだら)の王子・温羅が吉備国に飛来して吉備 国新山に居城を構え略奪を行いました。そこで大和朝廷は吉備津彦命(きびつひこのみこと)に、温羅討伐を命じます。吉備津彦命は吉備の中山(なかやま)に陣を構え、温羅を弓矢で攻撃。温羅も城から弓矢で迎え撃ち、激しい戦いとなります。戦いで傷を負った温羅は鯉に姿を変えて逃げますが、吉備津彦命は鵜に姿を変えて温羅を捉えます。打ち取られた温羅の首は吉備津神社の御釜殿(おかまでん)の下に埋められますが、何年たってもうなり声が止みません。ある日吉備津彦命の夢に温羅が現れ、『自分の妻にこの釜を使って米を炊かせろ。そうすれば釜の音で世の吉凶を占おう』と告げます。こうして今でも吉備津神社では、吉凶を占う『鳴釜(なるかま)神事』が執り行われている」と記されています。
吉備津彦神社に伝わる温羅伝説
一方吉備津彦神社に伝わる『吉備津彦神社縁起』では、吉備津彦命と温羅が戦い温羅が敗れるところまでは同じです。しかし温羅は成敗されず、吉備津彦命に仕えて吉備国を治めたとされています。
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