更新日: 2024年1月26日
備前刀工集団・長船派はどのようにして生まれたのか
岡山県瀬戸内市長船町(せとうちしおさふねちょう)は、刀剣の里として知られています。なぜこの場所に多くの刀工が生まれたのか。備前刀の歴史を探ってみましょう。
目次
備前刀が生まれる下地があった岡山の地質
日本刀の原材料は、木炭を用いて砂鉄を製錬した「玉鋼(たまはがね)」です。砂鉄は、花崗岩(かこうがん)や閃緑岩(せんりょくがん)などに含まれる鉄鉱が、岩石の風化によって分離したものです。花崗岩土壌の上に形成されている岡山県は古くから砂鉄の産地として知られており、弥生時代のものとされる製鉄遺跡も多数発見されています。この、豊富な原料と高度な製鉄技術が、備前刀を生みだす下地となったのです。
備前刀のはじまりと一文字派
備前刀のはじまりは、平安時代末期までさかのぼります。現在、古備前に分類される友成(ともなり)・正恒(まさつね)・利恒(としつね)・包平(かねひら)など、名だたる刀工が備前刀の基礎を確立しました。鎌倉時代に誕生したのが、一文字(いちもんじ)派です。銘に「一」の字を切ることで知られ、刀工の居住地によって福岡(ふくおか)一文字派・片山(かたやま)一文字派・吉岡(よしおか)一文字派・岩戸(いわと)一文字派に分類されます。豪壮な太刀姿と華やかな刃文は、多くの武将に愛され「備前刀」の地位を高めていったのです。
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