更新日: 2024年1月26日
蒜山酪農とジャージー牛との発展~市町村単位での飼育頭数日本一!~
蒜山高原(ひるぜんこうげん)にジャージー牛が導入されたのは1954(昭和29)年。それから約70年弱にわたり、蒜山高原の酪農とともにその歴史を紡いできました。
蒜山酪農と蒜山高原の歴史
岡山県北中部・真庭市(まにわし)の中で鳥取県との県境に位置する蒜山高原。背には蒜山三座(さんざ)(上蒜山1202m・中蒜山1123m・下蒜山1100m)が連なっています。第二次世界大戦前の蒜山原(ひるぜんばら)(蒜山三座のすそ野)は陸軍の演習場として使用されていましたが、終戦後の国の緊急開拓事業の一つとして開拓されることとなりました。
蒜山酪農の前身「蒜山原開拓農協」は開拓の困難を極めた
1946(昭和21)年12月に開拓者の入植を開始。翌年5月に175名による「蒜山開拓団」が結成され、1948(昭和23)年には「蒜山原開拓農協」を設立。先住者と協力して原野の開拓を行いますが、年間雨量が多く冬には積雪もある土地での屋外作業は困難を極めます。また、はるか昔に噴火した大山(だいせん)(鳥取県)の火山灰土に覆われた土壌は、重機などの無い当時の開墾作業にとって想像以上に大変なものでした。
入植者たちは農業未経験者が多く、火山灰土による強酸性のため植物が育ちにくいこの土地では、なかなか満足のいく農業ができませんでした。1952( 昭和27)年に試作販売した美濃早生(みのわせ)大根が好評を博し、ようやく農業の生産・販売体制が確立。その後、酪農経営も始まりました。
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