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備前福岡の市は西日本一の商都として栄えた 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

備前福岡の市は西日本一の商都として栄えた

吉井川(よしいがわ)の中州に広がる、備前(びぜん)福岡。かつては「福岡千軒(ふくおかせんげん)」と呼ばれ、衣料品・食料品・武器などさまざまな物品を扱う商都として多いに栄えていました。

備前福岡は交通の要衝

吉井川の中州に広がる、瀬戸内市長船町(せとうちしおさふねちょう)福岡。このあたりはもともと、備前四十八カ寺の一つ・岡隆山薬王寺(こうりゅうざんやくおうじ)の門前町として発展した土地です。1165(永万元)年の南部一乗院(なんぶいちじょういん)記録に「福岡の庄」として登場するのが、史料の初出。東端が福岡村(現在の長船町福岡)、西端が平島(ひらじま)(現在の岡山市東区東平島(ひがしひらじま))周辺まで広がり、16カ村で構成されていたといいます。
吉井川は高瀬舟(たかせぶね)発祥の地として知られており、岡山三大河川の中でも特に水運が活発だった川です。その吉井川と山陽道の結節点である「福岡の庄」には自然と商品が集まり、市が立つようになりました。

備前福岡の豪商の経済力を示す3つの寺

室町時代の福岡には3寺が建立されていました。この3寺を経済的に支えたのが、備前福岡の豪商です。1200年代は刀工の福岡一文字派の黄金期で、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が福岡一文字派の刀を好んだことから、各地の武将が備前刀を求めました。備前刀の製造・販売で財をなした豪商が各寺に寄進したため、狭いエリアに3寺が密集していても成り立ったのではないかと考えられています。

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