更新日: 2024年1月26日
水島臨海鉄道の遍歴を知る~西日本唯一の臨海鉄道~
2020(令和2)年に50周年を迎えた「水島臨海鉄道」は、水島臨海工業地帯の貨物輸送手段として、また市民生活の足として歴史を育む西日本唯一の臨海鉄道です。
水島臨海鉄道のはじまりは工場の専用鉄道
三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所岡山工場を岡山県が水島(みずしま)に誘致したのは、日中戦争時でした。工場建設地は駅から遠かったため、専用鉄道を敷設。列車提供や管理は国鉄が行い、原料や製品、従業員の輸送を行いました。
水島臨海鉄道の誕生まで①:国有鉄道を地方鉄道「水島鉄道」として再出発
工場は1943(昭和18)年4月に操業を開始。同年7月に三菱重工業㈱水島航空機製作所と改称し、海軍用航空機の生産を高めますが、終戦直前の空襲によって大破しました。しかし幸いなことに鉄道の被害は最小限に留まり、1947(昭和22)年4月9日に終戦後の地域復興を目的として設立された水島工業都市開発株式会社に経営を引き継ぎ、1948(昭和23)年6月22日に一般住民も利用できる地方鉄道「水島鉄道」として再出発しました。
水島臨海鉄道の誕生まで②:倉敷市営鉄道として経営を開始
しかし、水島港の改修に合わせた線路の延長や駅の新設による貨物輸送量の飛躍的な増大、そして1950(昭和25)年に手がけたバス事業の黒字でさえも、鉄道事業の赤字を埋めることはできませんでした。岡山県と倉敷市が水島に工場を誘致するためには、輸送機関が重要な要素であったため、倉敷市は同社を買収。1952(昭和27)年4月1日に倉敷市交通局が発足すると同時に、水島鉄道は倉敷市営鉄道として経営を開始しました。
愛称「ピーポー」の由来
水島工業都市開発株式会社の時代に走っていた機関車の汽笛が「ピーポー」と聞こえたため、通学で利用していた学生たちが、鉄道名ではなく「ピーポー」と呼ぶようになったそうです。それが一般にも定着。現在も市民に親しまれています。
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