更新日: 2024年1月26日
長崎にまつわる名曲と長崎が生んだ2大スター
戦後日本歌謡史の出発点ともいえる曲から、ご当地ソングブーム、そして長崎が生んだ2大スターにいたるまで…。
大勢に愛された名曲の数々は、長崎なくしては生まれませんでした!
長崎にまつわる名曲
作曲家の古関裕而(ゆうじ)が主人公のモデルとなった朝ドラ「エール」では、終戦後の復興と平和を願って古関が作曲した『長崎の鐘』がドラマのモチーフとして使われました。昭和24(1949)年に世に出たこの曲は、古関の代表曲のひとつであり、戦後の新たな日本への出発を象徴する一曲ともなりました。
長崎で生まれた名曲の数々
そして時代は高度経済成長期に入り、夜の繁華街ではキャバレーがブームに。長崎では、「十二番館」「銀馬車」の2大キャバレーが人気となり、それぞれの専属バンドがデビュー。花街の丸山へ続く橋を歌った『思案橋ブルース』の中井昭・高橋勝とコロラティーノと、『長崎は今日も雨だった』の内山田洋とクール・ファイブです。特に前川清がリードボーカルを務めたクール・ファイブは、昭和44(1969)年のデビュー以来、次々とヒット曲を連発し、日本を代表する「ムード歌謡コーラスグループ」へと成長していきました。
昭和43(1968)年の『長崎ブルース』(青江三奈)、昭和45(1970)年の『長崎の夜はむらさき』(瀬川瑛子)など、当時はちょっとした長崎の歌ブーム。流行していた「ご当地ソング」の一種ともいえますが、長崎が醸し出す異国情緒は歌謡曲に似合うのかもしれません。
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