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【長崎発祥の技術①】本木昌造の業績「近代活版印刷術」と「民間印刷企業」

「近代活版印刷の祖」といわれる本木昌造は、文政7(1824)年に長崎市新大工町の北島三弥太の四男(長崎会所請払役・馬田又次衛門の次男とする説もあり)として生まれ、11歳のときに叔父・本木昌左衛門の養子となりました。

本木家は代々オランダ通詞を務める名家で、本木昌造はその6代目を継承。幼少期より知的好奇心が旺盛だった本木昌造は、仕事柄さまざまな洋書に接するなかで、単に翻訳だけでなく、航海、造船、製鉄などを学び、活躍の場を広げました

なかでももっとも大きな業績を残したのが、近代活版印刷術です。

本木昌造が片仮名の鉛流し込み活字を製作

嘉永4(1851)年、本木昌造はオランダ活字を手本に片仮名の鉛流し込み活字を製作し、自著『蘭和通弁(らんわつうべん)』を印刷。開国後の安政2(1855)年に海軍士官養成のための長崎海軍伝習所が設立されると、幕府に教材印刷に必要な活字版摺立(すりだて)所の設置を進言し、みずから摺立掛となりました

本木昌造はここで多くの蘭書を翻刻し、シーボルトの著作などを発行しました。しかし納得のゆくクオリティに到達していなかったことから、さらなる完成度を求めて研究を重ねていきます。

本木昌造は日本初の民間印刷企業をスタート

本木昌造の理想へと大きく前進したのは、明治2(1869)年頃のこと。当時、本木昌造が頭取をしていた長崎製鉄所の付属施設として「長崎活版伝習所」を開設すると、アメリカ人宣教師グイド・フルベッキの協力を得て、上海の聖教書印刷所「美華書館」の代表ウイリアム・ガンブルを招聘。ガンブルから電胎法による金属活字鋳造を学び、鉛活字の鋳造、明朝体など号数活字の体系化を次々と完成させました

この成功を機に翌年製鉄所を退職し、新町(現・興善町)で日本初の民間印刷企業「新町活版所」の経営をスタート。その後、横浜新聞(のちの横浜毎日新聞)を創刊した横浜活版所をはじめ、大阪、東京、京都にも進出。文部省の活字御用掛に抜擢されるなど、印刷業界はもとより、日本の近代化に不可欠な伝達手段として大きな成果をあげました

本木昌造は別ジャンルでも活躍

ところで先にも述べたとおり、本木昌造の才能や興味は1か所に留まることはなく、その経歴は多彩。オランダ通詞にはじまり、あるときは土佐藩の蒸気船建造の指揮を執り、あるときは長崎製鉄所の御用掛を任命されるなど、多方面でマルチに活躍していますが、ここで本木昌造によるもうひとつの日本初を取り上げておきましょう。

明治元(1868)年、本木昌造が製鉄所の頭取時代にドイツ人技師ボーゲルによる設計で建造させた鉄橋、「銕橋(くろがねばし)」です。長崎市中心部、浜町アーケード入り口の中島川に架橋されたもので、現在の橋は1990年に架け替えられた3代目の鉄筋コンクリート製。中島川にはこのほか日本初の石造アーチ橋・眼鏡橋をはじめ、桃渓橋(ももたにばし)、袋橋など風情ある橋が複数架橋されていて、川沿いを散策する人も多くなっています。

本木昌造

養子先の家業オランダ通詞を務めるかたわら、航海、造船、製鉄など多方面で活躍。のちに長崎製鉄所の頭取に就任しました。日本に近代的な金属活版印刷術を広めた業績は現在も高く評価され、「近代活版印刷の始祖」といわれています。明治8(1875)年没、享年52歳。

【長崎発祥の技術②】上野彦馬が確立した「写真術」

ひと目でさまざまな情報を大量に伝達できるという意味で、写真は活字より優れていますが、写真術もまた、長崎からはじまりました。

嘉永元(1848)年、フランスで発明されたばかりのダゲレオタイプ(銀板写真)の写真機材一式を、長崎の絵師で御用時計師であり、化学や蘭学、製薬術にも精通したある男が入手しました。その人物こそ、上野彦馬の実父・上野俊之丞(しゅんのじょう)です。

上野彦馬といえば、日本初のプロカメラマンとしてあまりにも有名ですが、上野彦馬が写真の道を歩むようになった直接的なきっかけは、俊之丞の影響によるものではありませんでした。

上野彦馬の生い立ち

14歳で父・俊之丞が他界すると、16歳で大分・日田の名門私塾「咸宜園(かんぎえん)」に入門。長崎に戻った上野彦馬は安政5(1858)年、幕府第2次海軍伝習所の教官として来日したオランダ人軍医ポンペ・メーデルフォールトの塾「舎密(せいみ)試験所」に入り、舎密学(化学)を学びました

上野彦馬は父とは異なる方法で写真にアプローチ

そこで手にした蘭書『ショメール家庭百科事典』の中の「ホトガラフィー(写真)」という言葉を目にしたことが、上野彦馬のその後の人生を大きく変えることになりました。

上野彦馬は塾で親しくなった堀江鍬次郎(ほりえくわじろう)とともに、写真術の研究をスタート。着手したのは、父・俊之丞が輸入したダゲレオタイプではなく、発明されて間もないコロジオン湿板法によるもので、百科事典の図解をまねて、双眼鏡のレンズを使った木製の写真機を製作しました。

感光材の製造にはかなり苦労したようで、アンモニアを得るために生肉付きの牛骨を土中で腐敗させて周囲のひんしゅくを買い、長崎奉行所に訴えられたこともあったといいます。

上野彦馬によって完成された「湿式写真撮影術」

こうした困難をいとわず、目標に向かって前進し続けた末、ついに独学による湿式写真撮影術を確立しました。

文久2(1862)年、上野彦馬は自身の別邸があった中島川河畔に日本最初の商業写真館「上野撮影局」を創立。同時期に神奈川で写真館を開業した下岡蓮杖とともに、「日本の商業写真の開祖」といわれています。

【長崎発祥の技術③】トーマス・グラバーと「国際海底通信」

さて、長崎を発祥とする通信手段として最後に紹介するのが国際海底通信です。

明治4(1871)年、デンマークの大北電信会社が上海〜長崎、長崎〜ウラジオストックに海底ケーブルを敷設。これにより、長崎はロシアを経由してヨーロッパ、アメリカなど世界各国と結ばれました。東京が世界と通じたのは、東京〜長崎の国内電信が完成した2年後です。

ちなみに、日本初の私設電話も長崎だといわれており、明治元(1868)年頃、高島炭坑の開発にあたっていたトーマス・グラバーが、高島に建てた寓居と南山手の自宅との間に電話線を引いたのが始まりとされています。

【長崎発祥の技術③】トーマス・グラバーと「国際海底通信」

現在「グラバー園」内にて公開されている旧グラバー住宅。

グラバーが持ち込んだ日本初の技術

グラバーはほかにも、慶応元(1865)年に外国人居留地近くの大浦海岸でイギリス製の蒸気機関車を走らせました。グラバー園内にあるリンガー邸には、日本最初期のアスファルト道路も残っています。

長崎は事始めに関わる事柄が数多く、現在も往時をしのぶ史跡を見て歩くことができます。

外国から長崎に伝来した“日本初”のモノコト

鎖国時代、日本で唯一の西欧との貿易港として栄えた長崎には、海外の貿易船によって数々のモノコトがもたらされました。

カステラパンは広く知られるところ。そのほか、承応3(1654)年に明の隠元和尚が渡来する際に持ち込んだインゲン豆や長崎特産のじゃがいもなどの野菜、出島の住人たちが遊んでいたというバドミントンビリヤードといったスポーツなど、ジャンルを問わずさまざまな「日本初」が、長崎を経由して全国に広まりました

さらには缶詰、めがね、ビール、トマト、ボウリングなども、外国から長崎に初めて伝わったといわれています。

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Part.1 地図で読み解く長崎の大地

・地殻変動と火山が生んだ唯一無二の景観! 海に囲まれ平地が少ない長崎の地形
・島の数971! 長崎は日本一の多島県
・火山活動が作ったダイナミックな地形! 島原半島ジオパークとは?
・長崎は江戸時代から埋立都市だった?
・「国境の島」対馬の特殊な生態系
・水中調査で解明! 横島沈没の謎
・国内初のティラノサウルス発掘! 長崎は白亜紀の化石の宝庫だった
・世界でも稀な西海市の七ツ釜鍾乳洞
・最先端をゆく五島の洋上風力発電

…など

Part.2 長崎に開かれた多彩な交通網

・初期の長崎本線は早岐経由だった
・新幹線開業に向け再開発中! 長崎駅の今昔
・新旧の車両が行き交う長崎電気軌道
・小島が国際空港に! 長崎空港は世界初の海上空港
・長崎が生んだ画期的な交通手段! 坂を上る日本初のエレベーターとは!?
・東洋一と称された西海橋の誕生
・進化を遂げた長崎街道の日見峠
・松浦鉄道には3つの日本一がある!?
・当時の面影が残る雲仙鉄道の廃線跡
・島原鉄道は奇跡のローカル線!?
・吉田初三郎が描いた 長崎の鳥瞰図

Part.3 長崎で動いた歴史の瞬間

・東アジアの一大交流拠点だった! 原の辻遺跡が語る古代の交易
・“神風”の謎が海底遺跡調査で判明!? 鷹島神崎遺跡から見る蒙古襲来
・ポルトガルが平戸で貿易を始めたワケ
・なぜ長崎は教会領になったのか
・町民が主役!? 特例だらけの貿易都市長崎の誕生
・ラクダを飼っていた!? オランダ人の出島生活の実態とは
・龍馬を襲った「いろは丸事件」の真実
・倒幕の裏には大村藩士の活躍があった
・人口約4000人の村が一変!? 寒村だった佐世保が大変貌したワケ

…など

Part.4 長崎で生まれた産業や文化

・印刷も写真も通信も長崎発祥!? 長崎は“日本初”を量産していた!
・世界遺産に登録された日本造船業の原点! 三菱長崎造船所のあゆみ
・細部まで技巧を凝らした圧巻の建築美! 数々の教会堂を手がけた鉄川与助とは
・テーマパークの枠に留まらない魅力に迫る! 進化するエコシティ ハウステンボス

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