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長崎と佐世保の戦争遺構~戦争と原爆投下の悲劇を今に伝える 平和公園

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

長崎と佐世保の戦争遺構~戦争と原爆投下の悲劇を今に伝える

明治以降の海軍増強政策のもと、造船業をはじめ軍需産業の拠点となった長崎県は、戦争にまつわる歴史、その悲劇を語り継ぐ戦争遺構が数多く残る地域でもあります。

長崎と佐世保に残る戦争遺構

長崎県は大陸にもっとも近い立地的背景から、古くから重要な軍事拠点でした。明治時代に入ってからは造船などの重工業を中心に軍需産業が急速に発展したことから、長崎県内各所には海軍工廠(こうしょう)や航空廠などの直轄の軍事工場、敵の攻撃に備えるための砲台、要塞などが数多く設置されました。

なかでも、明治22(1899)年に佐世保鎮守府が開設され、西日本地域一帯の防衛と東アジアへの進出拠点となった佐世保周辺には、今も往時を物語る戦争遺構が多数残っています

佐世保周辺に残る軍事施設跡

佐世保周辺に残る軍事施設跡

佐世保に造られた砲台は、太平洋戦争以前と戦中で立地が異なっています。大戦以前は艦隊を砲撃するため国防充実策のひとつとして、佐世保軍港を取り囲むように築いた沿岸砲台が多くあります。大戦中はおもに飛行機に向けられたもので、見晴らしのいい山上にあります。

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