更新日: 2024年1月26日
佐世保鎮守府の設置で人口約4000人の村が一変!?佐世保が寒村から大変貌したワケ!
明治時代、鎮守府(ちんじゅふ)の設置を境に軍港都市へと変貌していった佐世保。
各種産業やインフラは、この時代に整備されたものが多く、佐世保の近代化の礎を担いました。
佐世保に鎮守府が設置された理由
長崎県北部の中心都市、佐世保の軍港都市としての歩みは、海軍佐世保鎮守府の設置が決まった明治19(1886)年5月4日に始まりました。明治維新後、列強の脅威にさらされた日本は、国の存亡をかけて国防に尽力。とりわけ最重要課題として取り組んだのが海軍力の増強で、その一環として着手したのが鎮守府の設置でした。
鎮守府とはフランス海軍を模範とした海軍の根拠地であり、艦隊を後方統括する機関のこと。その適地調査のため、東郷平八郎を艦長とする軍艦「第二丁卯(ていぼう)」が佐世保入りしたのは明治16(1883)年。綿密な調査の結果、①大型艦船が停泊できるだけの水深をもち、②湾口が狭いため外洋の波浪や風の影響を受けにくく、③中国大陸や朝鮮に近く対馬や五島、沖縄を警備するうえで都合がよいという、海軍が求める3つの条件を満たすことから、明治19(1886)年、横須賀、呉に次いで3番目となる佐世保鎮守府の設置が正式決定しました。
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