目次
いろは丸事件とは
慶応3(1867)年4月、海援隊は大洲藩(現・愛媛県大洲市)よりいろは丸を借り入れ、米、砂糖などを積んで長崎を出航、瀬戸内海を航行しました。
しかし、讃岐国の箱ノ岬沖を航行中に、瀬戸内海から長崎に向かっていた紀州藩の明光丸と衝突。明光丸の船首がいろは丸の右舷機関室を破壊し、いろは丸は船首から沈みそうになりました。坂本龍馬以下いろは丸の乗組員と旅客34人は明光丸に乗り移り、坂本龍馬はいろは丸の荷物を明光丸に移し替え、近くの鞆(とも)港(現・広島県福山市)まで曳航。しかし、この間にいろは丸は完全に沈没してしまいました。
鞆港にて事故処理をめぐって交渉が行われましたが、先を急ぐ明光丸は再交渉を約束して出港。交渉は長崎にて行われることになります。
いろは丸事件での坂本龍馬の巧みな交渉術
交渉の席で、坂本龍馬は航海日誌や海路図の提出を求めるとともに、当時の日本ではあまり知られていなかった国際法である『万国公法』を持ち出して多額の損害賠償を請求。徳川御三家のひとつ紀州藩に対して、一戦も辞さない態度で臨みました。
また、「船を沈めたその償いは、金をとらずに国をとる」と紀州藩を批判する歌を作って長崎の繁華街で流行らせ、世論を味方につけることにも成功しました。
その後、交渉には土佐藩の参政・後藤象二郎も加わり、紀州藩対土佐藩という藩同士の争いとなりました。長崎の聖福寺で行われた最終談判に坂本龍馬は同席しませんでしたが、薩摩藩の五代友厚の周旋により、紀州藩の勘定奉行・茂田一次郎は賠償金8万3000両(のちに7万両に減額)の支払いに同意しました。
いろは丸事件
坂本龍馬は衝突の原因よりも沈没の事実を全面に出して交渉。船主の薩摩藩の周旋もあり坂本龍馬が全面勝利した事件として語られています。
いろは丸事件の真相とは?
坂本龍馬の交渉力、政治力が大いに発揮されたいろは丸事件ですが、莫大な賠償金の使途については史料が不足しており明らかになっていません。
衝突の原因についても、いろは丸にも非があったことを指摘する見解もあり、また賠償金の根拠として坂本龍馬が主張した積荷が海底でも見つかっていないことから、紀州藩に多額の賠償金を出させるための「はったり」だったのではとの説もあります。
いろは丸事件以外の船にまつわる事件
いろは丸事件のほかにも、海援隊には船に絡んだ事故があります。
1つ目はワイルウェフ号事件。ワイルウェフ号は海援隊が薩摩藩の援助を受けて購入した洋式帆船で、小型でしたが速度に勝っていました。慶応2(1866)年、長崎から鹿児島をめざしますが、帆船は激しい風波に耐えられず上五島の潮合崎で沈没、16人のうち12人が死亡しました。なかには、坂本龍馬の土佐時代からの旧友・池内蔵太もいました。坂本龍馬は事故後、上五島を訪れ、土地の庄屋にみずから書いた碑文と費用を渡して建碑を依頼。現在も墓があり、龍馬ゆかりの地の碑が建っています。
2つ目はイカルス号事件。慶応3(1867)年7月、イギリス軍艦イカルス号の水兵2人が長崎の花街で殺害されると、イギリス公使・パークスは犯人を海援隊と断定し、幕府に事件の解明を求めました。長崎奉行所で審判され、坂本龍馬は証拠不十分として争い、土佐とイギリスは一時険悪な関係になります。のちに、真犯人は福岡藩士の金子才吉と判明し審理を終えました。
長崎市内の龍馬関連の施設
亀山社中の名は当時の地名に由来しており、今は龍馬通りになっています。イカルス号事件では立山役所、西役所に出頭し無罪を主張しました。
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