更新日: 2024年1月26日
「いろは丸事件」の真実!町を巻き込んで勝利!?坂本龍馬の巧みな戦術とは?
薩長同盟の立役者となった坂本龍馬は、長崎で亀山社中を興しました。
社中が購入、紹介した艦船や銃は倒幕の大きな力となりましたが、一方で船にまつわる事件も多く起こっています。
目次
坂本龍馬が長崎で亀山社中(海援隊)を興すまで
元治元(1864)年、徳川幕府は海軍奉行・勝海舟の建言により神戸に海軍操練所を開きました。しかし、同年の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」を起こした長州藩など反幕府からの塾生もいました。勝海舟も幕府から嫌疑を受けて、慶応元(1865)年に操練所は閉鎖。塾生の中には土佐藩の坂本龍馬もいました。
勝海舟は操練所閉鎖により江戸へ戻る際、薩摩藩家老・小松帯刀(たてわき)に坂本龍馬らの保護を依頼。薩摩藩は操練所で学んだ坂本龍馬たちを船に詳しいとの理由から、給金を払って雇い入れました。
坂本龍馬らが薩摩藩の庇護を受けて長崎に設立したのが、日本最初の商社といわれる「亀山社中」、のちの「海援隊」です。海援隊の名前は「海から土佐藩を援護する」という意味をもち、運輸、射利(利益の追求)、開拓、投資、土佐藩の応援を目的としていました。
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