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高島秋帆とフェートン号事件
高島秋帆は父の跡を継いで町年寄になりますが、11歳のときフェートン号事件に遭遇します。イギリスの軍艦フェートン号が、オランダの国旗をかかげて長崎港に不法侵入、オランダ商館員らは自国船と思い港口で出迎えましたが、人質として捕らえられてしまいます。イギリスは日本に食糧と水を要求、応戦しようにも軍事力が足りなかったため、長崎奉行は無法に屈したという事件です。
この事件を機に防衛強化の機運が高まり、高島秋帆も西洋砲術の必要性を強く感じることとなります。
高島秋帆が学んだ西洋砲術
町年寄として仕事をするなかで、高島秋帆はオランダ人と接して西洋砲術を学び、小銃、火砲の工学的研究や練兵方法などを身につけました。私財を投じて鉄砲や蘭書の兵学書を購入し、門人約300人に洋式訓練を行いました。
高島秋帆が暮らした雨声楼
文化3(1806)年、高島秋帆の父・高島四郎兵衛が長崎市内に建てた別邸で、雨声楼(うせいろう)とよばれました。天保9(1838)年、高島秋帆が住んでいた本宅が類焼した後、約5年間をここ雨声楼で過ごし、西洋砲術を研究、国の兵制改革の急務を幕府に上申しました。
雨声楼の名は、2階の客室から眺める夏の雨だれの光景にちなんで付けられたといいます。雨の多い長崎らしい名前です。昭和20(1945)年の原爆で大破し破却されました。
高島秋帆が江戸に向かった経緯
その頃、産業革命で資本主義を確立したイギリスはアジア市場を獲得するため、清国(中国)に進出。これがアヘン戦争へと発展しました。
日本も清国のように外国に侵略されるかもしれないと、アヘン戦争の情報を得た高島秋帆は強い危機感を訴え、天保11年(1840)年、長崎奉行に西洋砲術の採用を訴える上書を提出。これを受けて、老中・水野忠邦は高島秋帆に外国砲を持参して江戸に来るように命じました。
その後、高島秋帆は門人多数を引き連れて江戸に入り、門人の江川太郎左衛門らに砲術を伝授。秋帆一行は赤塚村(現・板橋区赤塚)の松月院に拠点をおき、演習に備えました。
高島秋帆が高島平で行った砲術の演習
天保12(1841)年5月9日、砲術の演習が行われました。場所は現在の高島平で、当時は徳丸ヶ原といわれた広大な農地・草地でした。この演習は総勢約100人に達する大規模なもので、見学したのは水野忠邦ほか幕府要職と諸大名、遠くから町民も見学しました。
モルチール砲一門、ホウィッスル砲、野戦砲による発射演習で1㎞近い長距離砲が放たれた後、97人によるゲベール銃が一斉射撃を行うなど、かつてない砲術は参観者を圧倒。火縄銃しか知らない参観者に衝撃を与えました。高島秋帆の名前は一気に全国に知れ渡り、門人希望者が押しかけました。
幕府は演習成功の恩賞として銀200枚を高島秋帆に与え、高島秋帆は長崎に戻ります。しかし、この成功を妬む者により冤罪で投獄され、10年以上も獄中生活を強いられます。
現在の高島平周辺
演習の拠点となった松月院本堂横には、高さ6mの高島秋帆紀功碑があります。徳丸ヶ原は高島平団地になり、高島平駅は昭和43(1968)年に開業しました。
高島秋帆が開いた近代国家への道
出獄後、不遇な時代のことなどなかったかのように、高島秋帆は再び西洋砲術の必要性を説きました。
嘉永6(1853)年のペリー艦隊来航時は幽閉から釈放されたばかりでしたが、高島秋帆はペリー来航に対し平和開国通商を献策します。当時、開国は降伏を意味していた時代で、これは覚悟の上書であり近代国家への道を開くことになった、とのちに高く評価されています。
幕府が開国を決定後、高島秋帆は講武所砲術師範役、武具奉行の職につき、東京の文京区小石川で晩年を過ごしました。
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