更新日: 2024年1月26日
高島秋帆と東京「高島平」の関係!長崎の天才砲術家の名がなぜ東京の地名に?
東京・板橋区に「高島平(たかしまだいら)」の地名があり、地下鉄の駅名にもなっています。
名前の由来は、じつは長崎出身の西洋砲術家・高島秋帆(しゅうはん)にあるといいます。
目次
高島秋帆は長崎の町年寄兼鉄砲方の家に生まれた
高島秋帆は、寛政10(1798)年に長崎の町年寄兼鉄砲方の家に生まれました。鎖国政策の時代、長崎の出島だけが外国との窓口であったことから、長崎奉行は幕府の代表といえる立場にありました。
奉行は行政を行い、貿易の監督も担当。ただし、軍隊は持ちませんでした。当時、長崎奉行は町年寄が交代で補佐し、長崎の市政や貿易行政などの実務をとりました。幕府での町年寄の身分は地役人で、貿易上の商権をもっていたので、少なからず収入があり富裕でした。
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