更新日: 2024年1月26日
潜伏キリシタンの信仰の工夫!異教徒に紛れ島や仏像を拝んでいた!?
禁教政策が敷かれた江戸時代、度重なる弾圧にもかかわらず、密かに信仰を続けた潜伏キリシタン。
その誕生の経緯と信仰のために編み出した独自の様式を解き明かします。
潜伏キリシタン誕生の経緯
慶長18(1614)年、江戸幕府は全国的な禁教令を発布し、宣教師を国外追放します。しかし、なかには国内に潜伏したり、追放後に密入国したりして布教活動を続ける者がいました。
そこで幕府は、潜伏する宣教師を密告した者に褒賞を与え、宣教師を捕らえると、かくまっていた者も含めて処刑しました。元和8(1622)年には、日本のキリスト教弾圧で最大規模の「元和の大殉教」が発生。司祭やかくまった日本人信徒ら計55人が、火刑と斬首によって処刑されます。
島原の乱をきっかけに確立された鎖国体制
当初、密告の対象は宣教師だけで、長崎でも一部を除いて信仰は規制されませんでした。ところが寛永3(1626)年に長崎奉行に着任した水野守信と、同6(1629)年に後任となる竹中重義が、残忍な拷問で禁教を徹底し、ほとんどの信徒が棄教か殉教してしまいます。
そして寛永14(1637)年に起きた「島原・天草一揆」をきっかけに、幕府はポルトガル船の来航を禁止し、鎖国体制を確立。同21(1644)年には最後の宣教師が殉教し、日本から宣教師がいなくなりました。
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