更新日: 2024年1月26日
鷹島神崎遺跡から見る元寇~“神風”の謎が海底遺跡調査で判明!?
鷹島は鎌倉時代に2度にわたった元寇(げんこう)(蒙古襲来(もうこしゅうらい))の激戦地のひとつ。
神風によって沈んだ元の軍船が残る「鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡」の調査で、戦いの詳細がわかってきました。
第1次元寇(文永の役)
鎌倉時代末期、史上最大の版図を誇ったモンゴル帝国が2度にわたって日本に襲来しました。いわゆる元寇の1回目となる文永の役では、元と高麗の連合軍約3万人が、対馬や壱岐を経て、文永11(1274)年10月に博多湾から上陸します。
日本軍は果敢に戦いましたが、「てつはう」と呼ばれる炸裂弾や毒を塗った矢など、初めて見る兵器や戦法に圧倒され、太宰府まで退却。
ところが元軍は、夜になると船に引き上げ撤退してしまいます。その原因として、神風や元の武器が尽きたことなど諸説あるものの、日本軍はひとまず撃退に成功しました。
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