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三井楽にあった二つの港

『肥前国風土記』によると当時の五島の西側には、船が20隻ほど停泊できる「相子田(あいこだ)の停(とまり)」(現在の中通島(なかどおりじま)・青方(あおかた)とされる)と、10隻ほどが停泊できる「川原の浦」(福江島・岐宿(きしく)町川原)という港がありました。

博多湾を出た遣唐使船は、東松浦から北松浦半島沿岸、庇羅(ひら)(平戸)島へと進んだのち、この両港を経て「美禰良久の崎」に寄港、東シナ海へと乗り出していきます。

遣唐使の航海ルート

遣唐使の航海ルート

遣唐使の経路はおもに上の3つがありましたが、もっとも安全な北路が新羅との国交悪化で航行が困難になり、奄美や石垣を通る南島路は日数がかかりすぎました。そのため、船の大型化とともに五島経由の南路が使われるようになります。

三井楽を命がけで航海した遣唐使

その航海は想像を絶するほど厳しく、まさに命がけだったといわれています。延暦23(804)年、のちに真言宗を開く空海が、大使である藤原葛野麻呂(かどのまろ)や天台宗を開いた最澄、橘逸勢(たちばなのはやなり)らとともに渡唐した4隻の第16次遣唐使船も、相子田の停を出港した2日後に暴風雨に巻き込まれ、離ればなれになってしまいます。最澄が乗った第2船は明州(寧波(ニンポー))に、藤原葛野麻呂と空海が乗船していた第1船はさらに南の福州へと漂着しました。

このときの様子は、空海が残した『遍照発揮性霊集(へんじょうほっきしょうりょうしゅう)』にも「死を冒して海に入る……既に本涯を辞す……五島を離れて途中で暴風雨にあい舵は折れる。波濤の上で船は上下し潮に流される。水は尽き人は疲れ、ただ天を仰ぐのみ。生死の間をさまよった34日……」と書き記されています。

2年後の帰国の際も、空海は暴風雨に遭遇。五島列島・福江島にある玉之浦の大宝港に漂着し、この地で真言密教を開宗したといわれています。

三井楽には遣唐使や空海ゆかりの碑などが残る

遣唐使や空海とゆかりが深い三井楽には、そのことを伝える施設やモニュメントが数多く点在します。そのひとつが、東シナ海の大海原を一望できる柏崎公園内に建つ「辞本涯(じほんがい)」の石碑。『遍照発揮性霊集』の中にある「日本の最果ての地を去る」という意味の一文「本涯を辞す」から引用した碑文が刻まれ、並び建つ空海の立像とともにその偉業と勇気を今に伝えています。

三井楽周辺

三井楽周辺

福江島の北西部、東シナ海へと突き出た半島と、西に浮かぶ嵯峨島を含む三井楽には、遣唐使ゆかりの史跡や伝承が数多く残ります。

三井楽は「この世の果て」として古典文学にも登場する

また三井楽は、『万葉集』をはじめとする古典文学に登場する地としても知られています。

京の都から遠く離れた五島=三井楽は、この世の果てと思われるほど遠い存在で、その当時、船で2か月ほどもかかる長旅の途中で命を落とす人も少なくありませんでした。そのため「みみらく」はいつしか「亡き人の宿」といった意味に転じ、訪れると死者に会うことができる場所と言い伝えられるようになります。

平安時代は、異国との境界にある島、西方浄土の地を示す歌枕として浸透しており、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)が記した『蜻蛉(かげろう)日記』に「いづことか 音にのみきく みみらくの 島がくれにし 人をたづねむ」など亡き母に再び会いたいと願う歌も詠まれています。高崎鼻公園や白良ヶ浜(しららがはま)万葉公園には、それらの一節を刻んだ歌碑が建立され、当時の人々の思いを偲ぶことができます。

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・進化を遂げた長崎街道の日見峠
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・ポルトガルが平戸で貿易を始めたワケ
・なぜ長崎は教会領になったのか
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・ラクダを飼っていた!? オランダ人の出島生活の実態とは
・龍馬を襲った「いろは丸事件」の真実
・倒幕の裏には大村藩士の活躍があった
・人口約4000人の村が一変!? 寒村だった佐世保が大変貌したワケ

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Part.4 長崎で生まれた産業や文化

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