トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 長崎県 >

原の辻遺跡が語る古代の交易!古代の壱岐は東アジアの一大交流拠点だった 原の辻一支国王都復元公園

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

原の辻遺跡が語る古代の交易!古代の壱岐は東アジアの一大交流拠点だった

アジア最古の船着場跡が発見された壱岐の原(はる)の辻遺跡。
出土する遺物は、大陸から人や物、情報が集まる国際色豊かな島だったことを今に伝えます。

原の辻遺跡の発見と発掘

海を挟んで位置する九州と朝鮮半島は、縄文時代には交流があり、移民や土器が日本に入ってきていました。壱岐と対馬は、その海上交易ルート上に浮かぶ要衝の島。特に壱岐は、弥生時代に交易の中継拠点として栄え、当時の東アジアにおける最先端の人や物、情報が集まりました。

国の特定史跡に指定されている原の辻遺跡の発見・発掘によって、壱岐は2000年以上前に貿易拠点として繁栄していたことが明らかになります。

原の辻遺跡があるのは、壱岐島東部の内海湾から幡鉾(はたほこ)川をさかのぼった場所で、長崎県内2番目の広さをもつ深江田原(ふかえたばる)平野。その中の丘陵上に、高床式建物や複数の竪穴式住居を三重の溝で囲んだ多重環濠集落の痕跡が見つかりました。丘陵周囲の低地部に水田、住居が広がる丘陵とは別の小高い丘からは墓域も発見されています。

現在も調査中ながら、その広さは少なくとも100ha。福岡ドーム14個分ほどの区域に、紀元前2〜3世紀から3〜4世紀、弥生時代〜古墳時代初期の人々が住居を建て、交易を行って生活していました

原の辻遺跡の発見と発掘

壱岐唯一ともいえる広い台地と、幡鉾川が形成した深江田原平野という耕作に適した土地に原の辻は築かれました。

1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!