更新日: 2024年1月26日
長崎街道の日見峠~シーボルトや吉田松陰も歩いた“西の箱根”の変遷
長崎陸路の表口となる日見(ひみ)峠は、街道随一の難所。徒歩移動から人力車や馬車、そして自動車へと、交通手段の変遷にともない、峠道もその姿を変えてきました。
目次
長崎街道は九州で唯一の脇街道
江戸時代、徳川幕府は江戸を中心に「街道」と呼ばれる幹線道路と宿駅を整備しました。豊前(ぶぜん)国小倉(現・福岡県北九州市)と肥前国長崎を結ぶ長崎街道は、九州で唯一の脇街道(五街道などの本街道以外の支街道)でした。
57里(約228㎞)の街道は、のちに小倉より本州側にある門司の大里(だいり)が始点になったとも見られますが、25の宿場町が置かれていました。
鎖国体制下の日本において唯一、西洋の文化や技術を伝える道として重要な役割を担った長崎街道だけに、さまざまな人々が往来。シーボルトや吉田松陰など歴史上の人物のみならず、象やラクダといった当時は珍しい動物も通ったようです。
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