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長崎市の地形は江戸時代から埋め立て都市だった? 坂の町だからこそ生まれた都市形成!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

長崎市の地形は江戸時代から埋め立て都市だった? 坂の町だからこそ生まれた都市形成!

長崎市は長崎半島と西彼杵(にしそのぎ)半島の接合部の小規模な沖積平野にあります。
背後には山地や丘陵が迫り、都市拡大のため絶えず埋め立てが行われてきました。

長崎市の地形は埋め立てによって拡大を続けた

海外との交易で発達してきた長崎市は、平地が少なく海域を埋め立てることで都市の拡大を図ってきました。それは江戸時代に始まり、出島新地蔵などが挙げられます。

幕末、長崎港は函館、横浜、神戸とともに外国貿易の窓口として開港。これを機に長崎では湾状の大浦海岸を埋め立てて東山手と南山手を造成し、一帯を外国人居留地としました

外国人居留地では西欧の近代的な技術を導入した街づくりが行われ、洋風建築とともに、道路舗装、下水、街灯などが整備されました。近代的な異国情緒にあふれた長崎の街並みはこうしてできたのです。

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