更新日: 2024年1月13日
大坂の陣~諸大名を動員し天下を世に示した家康の横綱相撲
戦国の世を終わらせるべく豊臣家壊滅の戦いに挑む徳川家康。大坂夏の陣で豊臣が滅亡し、家康は苦難を潜り抜け最後の勝者に!
大坂の陣~戦国の世を終わらせるべく豊臣家壊滅に挑む家康
慶長16年(1611)、家康は豊臣秀頼と二条城(にじょうじょう)で会見します。秀頼が上洛するという形から、豊臣家の徳川家への従属が示されたものの、あくまで家康は豊臣を滅ぼす機会を探っていました。
やがて3年が経過するなかで、加藤清正、浅野幸長(よしなが)ら家康を牽制できる豊臣恩顧の武将が世を去ると、家康は豊臣覆滅(ふくめつ)に動き出します。
方広寺の鐘銘(しょうめい)が家康呪詛(じゅそ)にあたると豊臣家を挑発し、慶長19年(1614)12月、大坂冬の陣を開戦しました。
諸大名がすべて徳川方に参集したのに対し、大坂方には元大名の長宗我部盛親(もりちか)や真田昌幸の子・真田信繁(のぶしげ)(幸村)ら10万人の浪人が集まり籠城しました。とくに真田信繁が築いた真田丸は手強く、城を攻めあぐねた家康は、大砲を撃ち込んで豊臣方の決定権を握る秀頼の母・淀殿を脅(おど)すと、外堀の破却を条件に講和に持ち込みます。
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