目次
男体山の噴火によってできた奥日光の自然美
男体山の活動時期は2万2000年前から1万3000年前といわれ、主活動期には溶岩流と火砕流が交互に噴出し山体の大部分が形成されました。この活動期早期の溶岩流が太古の大谷(だいや)川を堰(せ)き止めたことで、それまで深い谷だった場所が中禅寺湖へと姿を変えました。その東岸から水があふれて現在の大谷川となり、約500m下流で華厳(けごん)ノ滝となって落差97mを一気に流れ落ちています。
男体山同様に崩れ続けて位置が変わった華厳ノ滝
中禅寺湖を堰き止めている岩壁は、頑強な溶岩だけでできているわけではありません。溶岩の間には男体山同様に、火山灰や軽石などの脆く崩れやすい地層があります。そのため華厳ノ滝は何度も崩れており、当初の滝の位置は現在より800mほど下流にあったと考えられています。つまり崩落を繰り返しながら、現在の位置まで移動してきたのです。
男体山の噴火の溶岩によってできた憾満ヶ淵
男体山の裏側にも溶岩流は流れ出し、荒沢をくだって鳴虫山(なきむしやま)のふもとまで達しました。「化け地蔵」で知られる憾満ヶ淵(かんまんがふち)の奇勝は、この時の溶岩が大谷川に浸食されてできたものです。川底をのぞくと、澄んだ水の下にかつての溶岩流の名残を見ることができます。
男体山の噴火によって戦場ヶ原もつくられた
話をもう一度奥日光へ戻します。中禅寺湖が生まれたのと同じ頃、その北側でもダイナミックな動きがありました。大谷川を堰き止めた男体山の溶岩流は同じように湯川の流れも堰き止め、もうひとつの巨大な湖をつくっていました。それが戦場ヶ原の原初の姿です。さらに時を経て1万3000年前の噴火の際、今度は火砕流が戦場ヶ原の湖を埋め尽くします。その後、平坦な部分に水生植物が腐らずに堆積した結果、現在の戦場ヶ原湿原が生まれたのです。
かつての湖を埋めた堆積物の厚さが、戦場ヶ原中央部の糠塚(ぬかづか)付近でおよそ110mあることが調査でわかっており、この時の噴火の規模がどれほどだったかが想像できます。ちなみに奥日光三名瀑のひとつである竜頭ノ滝(りゅうずのたき)は、戦場ヶ原からあふれ出た火砕流によって形成されたものです。階段状に浸食された狭い岩場を水が滑るように流れる渓流瀑で、独特の造形美をつくり出しています。
戦場ヶ原で戦ったのは誰と誰?
日光には「戦場ヶ原神戦譚」なるものが伝わっています。下野国(しもつけのくに)(栃木県)の男体山の神と、上野国(こうずけのくに)(群馬県)の赤城山(あかぎさん)の神の間で、中禅寺湖をめぐり争いが起きます。男体山の神は大蛇に、赤城山の神は大ムカデに化けて戦いました。はじめ劣勢だった男体山の神は奥州より弓の名人・小野の猿丸(さるまる)を迎え、見事勝利を得ました。その戦いの場所が、戦場ヶ原と名付けられたとされています。
三岳によってできた堰止湖
同じ日光火山群のひとつで、戦場ヶ原の北に位置する三岳(みつだけ)から流れた溶岩流もいくつかの堰止湖(せきとめこ)をつくります。西側の湯ノ湖(ゆのこ)、北側の切込湖(きりこみこ)と刈込湖(かりこみこ)です。そして湯ノ湖の南から水は豪壮な湯滝(ゆだき)となって流れ落ち、湯川(ゆかわ)となって戦場ヶ原を流れ、竜頭ノ滝へつながります。
男体山と同様に活火山に指定されている日光白根山
華厳ノ滝、中禅寺湖、竜頭ノ滝、戦場ヶ原、湯滝、湯ノ湖と、国道120号に沿って奥日光を代表する景勝地を見てきましたが、その先はいよいよ県境の金精峠(こんせいとうげ)です。峠の南西方向、日光湯元温泉から見ると西側の最も奥まった場所に、栃木県と群馬県にまたがって関東最高峰の日光白根山(にっこうしらねさん)(標高2578m)が鎮座しています。山頂部は奥白根と前白根からなり、主峰・奥白根山頂にはまるで瘤のような直径1㎞、高さ300mの特徴ある溶岩ドームが見られます。日光火山群のなかでは男体山と日光白根山が活火山であり、特に日光白根山は「常時観測火山」とされ、気象庁が地震計、傾斜計などの観測施設を整備し、24時間体制で観測、監視している山です。
奥日光の景勝地:英国大使館別荘記念公園
英国大使館別荘記念公園。明治維新に大きな影響を与えた英国の外交官、アーネスト・サトウの個人別荘として建てられ、その後、英国大使館別荘として使われた建物を復元し、公園として整備されました。
英国大使館別荘記念公園
- 住所
- 栃木県日光市中宮祠2482
- 交通
- JR日光線日光駅・東武日光線東武日光駅から東武バス中禅寺湖方面行きで45分、中禅寺温泉で東武バス立木観音行きに乗り換えて5分、終点下車、徒歩30分
- 料金
- 観覧料=大人300円、小人150円/イタリア大使館別荘記念公園共通券=大人450円、小人200円/
奥日光の景勝地:華厳ノ滝
轟音を立てて流れ落ちる勇壮な華厳ノ滝。脇の岩盤からは幅約100m、高さ約50mにわたり「十二滝」と呼ばれる細い幾筋もの流れがあります。これらの水も中禅寺湖から漏れ出しています。
華厳ノ滝
- 住所
- 栃木県日光市栃木県日光市中宮祠2479-2
- 交通
- JR日光線日光駅・東武日光線東武日光駅から東武バス中禅寺湖方面行きで45分、中禅寺温泉下車、徒歩5分
- 料金
- エレベータ―往復=大人570円、小学生340円/
奥日光の景勝地:竜頭の滝
階段状の岩場を210mにわたり勢いよく流れる竜頭ノ滝。滝つぼ近くが大きな岩で二分され、それが竜の頭に似ていることからこの名がついたとされています。新緑と紅葉の時期が特に美しい。
奥日光の景勝地:戦場ヶ原
標高1390mの高層湿原である戦場ヶ原。400haの広大な面積を誇り、350種類に及ぶ植物が自生し野鳥も多くいます。174.68haの地域がラムサール条約登録湿地となっています。
奥日光の景勝地:湯ノ湖
日光白根山のふもとにあり、周囲約3㎞の静かで神秘的な雰囲気が漂う湯ノ湖。ほとりには日光湯元温泉があり、湯ノ湖一帯でもあちこちから湯が湧いています。秋には紅葉に彩られた美しい風景が広がり、5~9月にはマス釣りでも賑わいます。
奥日光の景勝地:湯滝
湯ノ湖の南岸から斜面を流れ落ちる高さ約70m、長さ約110mの湯滝。滝壺の目の前に観瀑台があり、間近で迫力ある姿を眺められます。華厳ノ滝、竜頭ノ滝と並ぶ奥日光三名瀑のひとつ。
奥日光の標高地形
奥日光には多く火山が分布し、日光火山群と呼ばれています。代表的なのは成層火山である男体山や女峰山などで、標高はどちらも2400mを超えます。男体山の周囲には大真名子山、小真名子山と、太郎山、三岳などの山々が連なります。
男体山は災害を誘発する危険性もはらむ
こうして見ると、世界が絶賛する奥日光の風光明媚な景観は、国生み神話さながら、男体山を中心とする山々のすさまじい火山活動の賜物であることがわかります。しかし先に述べたとおり、その成り立ちから崩れゆく運命の男体山は、災害を誘発する土砂の発生源という別の顔も併せ持っています。
男体山の土砂による過去の災害
男体山から崩れた溶岩や土砂は山腹に堆積し、豪雨時には土石流となって東照宮など世界遺産を抱える日光市街地まで流れくだる可能性をはらんでいます。現に1902(明治35)年の台風による土砂災害では、大谷川にかかる神橋(しんきょう)と、100戸余りの人家が流されました。
第二いろは坂の途中、明智平(あけちだいら)付近から男体山の東南斜面に最大の崩壊地「大薙(おおなぎ)」を望むことができます。今から約340年前、1683(天和3)年の大地震によって発生し、以来現在にいたるまで崩壊は続き、大量の土砂を大谷川に流し続けています。この男体山の崩壊を食い止めるべく、人間の知恵と技術を結集した砂防事業が、1950(昭和25)年から建設省(現・国土交通省)によって開始されました。
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