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伊達政宗の戦略地図~5年で奥州を制覇した若き伊達家の当主

天正12年(1584)、18歳で家督を譲られた出羽米沢(でわよねざわ)城主の伊達政宗は、翌年、伊達家に背いた小手森城(おでもりじょう)の人々を撫で斬りにして奥州の諸勢力を震撼させると、父の横死後、奥州制覇への道を突き進みます。人取橋(ひととりばし)の戦いで、強豪の蘆名・佐竹を軸とする大連合軍の猛攻を凌ぎ切り、天正17年(1589)には奥州の覇権を争う蘆名氏を摺上原(すりあげはら)の戦いで滅亡させます。こうして政宗は家督相続後、わずか5年で奥州制覇を果たしました

伊達政宗の戦略地図~謀略とはったりでつねに天下を狙い続ける

さらに関東をうかがおうとした矢先、豊臣秀吉の小田原攻めに直面します。すでに西日本を平定し終えた秀吉は、関東制圧後、東北平定を見据えており、政宗を含む諸大名に臣従を迫っていたのです。

政宗は結局小田原へ参陣し、その軍門に降ります。この時、政宗は死に装束で秀吉の前に現われ遅参を詫(わ)びたといいます。

しかしその野心は衰えず、その後も秀吉や家康からたびたび謀反の疑いをかけられています。

大崎一揆では一揆扇動、豊臣秀次の自害では謀反の疑いをかけられます。秀吉の没後は家康に接近するも、家康の娘婿松平忠輝(まつだいらただてる)との謀反や、大坂の陣の味方撃ち事件など、政宗謀反の噂は何度も流れました。しかしその都度、政宗は機略と開き直りをもって切り抜け、乱世を生き残ったのです

戦国の豆知識:伊達政宗の戦略地図

政宗は領内を4つにわけて、それぞれに郡奉行を置き、行政区分を実施しました。また新田開発を奨励し、国力の増強に努めています。

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群雄割拠した武将それぞれの戦いをトーナメント表にした巻頭特別折込付録

『地図でスッと頭に入る戦国時代』見どころ

【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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