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羽柴秀吉の戦略地図① 中国大返し〜賤ヶ岳の戦い

主君横死の危機をチャンスに変えた人たらしの戦略。

調略と機略で功績をあげ裸一貫から一国一城の主へ

低い身分から織田信長に仕官し、立身出世を遂げたのが豊臣秀吉(とよとみひでよし)です。

美濃攻めにおける斎藤家家臣団の切り崩しや、金ヶ崎退き口における殿軍の活躍、浅井長政(あざいながまさ)の家臣に対する寝返り工作など、数々の功績をあげ台頭した秀吉は、浅井氏滅亡の後、その旧領を与えられ、長浜城(ながはまじょう)を築いて一国一城の主となりました。さらには、中国地方攻略を任されるほどの重臣となりました。

本能寺の変が天下人への道を開いた

中国攻めでも、鳥取城の渇(かつ)え殺し備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)の水攻めなど、味方の兵の損害を最小限に抑える戦術を駆使して織田家随一の働きを見せた秀吉でしたが、その運命を大きく変えたのが、本能寺の変です

備中高松城水攻めの最中であった秀吉は、主君の横死というこの危機をチャンスに変えます。直ちに毛利家(もうりけ)と和睦(わぼく)を結ぶと、畿内へ急行。わずか7日で畿内に達し、織田家の諸将を糾合して明智光秀を破ったのです(山崎の戦い)。これが天下人秀吉への大きな一歩となりました。

光秀を討った秀吉は清洲(きよす)会議で主導権を握り、信長の後継候補の本命に躍り出ます。その後も信長の旧臣を取り込んで勢力を拡大しつつ、天正11年(1583)には柴田勝家(しばたかついえ)賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで破り、信長横死に揺れる家中の争いを制したのです。

戦国の豆知識:羽柴秀吉の中国大返し〜賤ヶ岳の戦い

『名将言行録』によれば、信長横死の知らせを受けたとき、黒田官兵衛は、すぐさま秀吉に「御運開かせ給うとき」と促したといわれます。こうした優れた補佐役を見出す能力も秀吉の特性といえるでしょう。

羽柴秀吉の戦略地図② 天下統一の戦い

雑賀・越中・四国・九州そして関東・東北 ライバルを屈服させながら歴史を作ります。

毛利と上杉を武力衝突なくして従わせる

小牧・長久手の戦いで徳川家康を従えた豊臣秀吉にとって、残る敵対勢力は主に、四国の長宗我部(ちょうそかべ)、中国の毛利、越後(えちご)の上杉、紀伊(きい)の雑賀(さいが)、九州の島津、そして関東の北条と東北の諸大名でした。

ただし、毛利氏については備中高松城の講和以来良好な関係を維持しており、天正11年(1583)に和平が成立。その翌年には上杉家もこれに続きました。

小田原攻めは天下の大軍によるワンサイドゲーム

その一方で、紀伊の雑賀、四国の長宗我部、越中の佐々(さつさ)を降し、さらに九州の大友宗麟(おおともそうりん)からの援軍要請を受けた秀吉は、九州に上陸。和睦を拒否する島津氏を撃破して降伏させました。従えた諸侯の軍を動員した大軍により、ほぼワンサイドゲームといってよい戦いでした。

やがて関白の職に就いた秀吉は天正18年(1590)、上洛命令を無視し続ける北条氏政(ほうじょううじまさ)が、秀吉に臣従していた真田氏の名胡桃城(なぐるみじょう)を攻め落とすと、大名同士の私闘を禁じる惣無事(そうぶじ)の論理に違反したとして小田原攻めを敢行。22万の大軍を動員して城を攻囲する一方、関東各地に点在する北条方の支城を次々に攻略して圧力をかけます。

結果、小田原城は降伏し、開城。こうして秀吉は北条氏を滅ぼすと、奥州仕置を行なって天下統一を果たしたのです。

戦国の豆知識:羽柴秀吉天下統一の戦い

秀吉が豊臣姓を名乗り始めた時期は、関白任官と同時期といわれています。また、天正14年12月の太政大臣任官を契機としているとする説もあります。

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『地図でスッと頭に入る戦国時代』見どころ

【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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