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五郎兵衛用水の開発に至った背景

もともとこの地は朝廷に献納する馬を育てる牧場、官牧「望月牧」の一部でした。いっぽうで、すぐ近くには千曲川が流れているものの、川面から離れた台地上にあるため引水が難しく、荒地のまま放置されていました。

変化が訪れたのは江戸時代に入る直前の1593(文禄2)年。武田信玄とつながりのあった上野国甘楽(かんら)郡羽沢村(群馬県南牧(なんもく)村)出身の市川五郎兵衛真親(さねちか)が、徳川家康から領国内での鉱山開発、新田開発許可の朱印状をもらったことにより、砥沢(とざわ)村(群馬県南牧村)で砥石(といし)の採掘、信濃国佐久郡内で新田開発が進められるようになりました。

五郎兵衛用水の開発によって約70ヘクタールの水田が生まれる

三河田(みかわだ)新田、市村新田(ともに佐久市)を開発したあと、1626(寛永3)年、小諸藩からのちの五郎兵衛新田となる矢島原の開発許可状を与えられます。1631(寛永8)年には、蓼科山で発見した湧水(五斗水)を鹿曲(かくま)川支流の細小路川に落として取水し、矢島原まで引水する約20㎞の五郎兵衛用水を完成させました。これにより、約70ヘクタールの水田が生まれ、1633(寛永10)年の検地高は439石以上を記録します。穀倉地帯としての基盤が築かれました。

五郎兵衛用水は五郎兵衛が私財を投じて開発した

工事には、堀貫(ほりぬき)(トンネル)や掛樋(かけひ)(水路橋)、築堰(つきせぎ)(盛土による土水路)など、当時としては高度な土木技術が駆使されます。費用は五郎兵衛が私財を投じて工面し、地元や近隣の村の人々には新田を耕すことを許可したといいます。こうした功績が認められ、1642(寛永19)年には、小諸藩から新田中に150石の褒美地を与えられています。その後も、五郎兵衛の新田開発への情熱は衰えず、御牧ヶ原(みまきがはら)を開発しようとしていたものの、実現しなかったと伝えられています。

五郎兵衛用水は昭和30年代半ばの大改修で近代的な水路に

しかし、五郎兵衛用水は土を固めただけの構造で、洪水などでたびたび壊れ、戦後までは地域の人たちが管理・補修することで維持されてきました。県営事業による約10年の歳月をかけた大改修の末、昭和30年代半ばに現在も使われている近代的な水路となったのです。

五郎兵衛用水は改修工事によって総延長13.3㎞( 開削時は約20 ㎞ )、灌漑面積416ヘクタールとなった。開削時につくられた堀貫(トンネル)には鉱山開発のノウハウが生かされています。
全国水土里ネットの「五郎兵衛用水土地改良区」を元に作成。

五郎兵衛用水の歴史を後世に伝えるために

こうした歴史を伝えるため、1973(昭和48)年、五郎兵衛用水の資料を展示する「五郎兵衛記念館」が開館します。2006(平成18)年には、五郎兵衛用水が農林水産省の疏水百選のひとつに選ばれ、また2018(平成30)年には、滝之湯堰(たきのゆせぎ)・大河原堰(おおかわらせぎ)(茅野市)、拾ケ堰(じっかせぎ)(安曇野市、松本市)に続き、長野県で3番目となる世界かんがい施設遺産に登録されました。

五郎兵衛用水と共に後世まで受け継ぎたい名勝「田毎の月」

冠着(かむりき)山(姨捨(おばすて)山)の北麓に広がる約1500枚の棚田。「古今和歌集」では月の名所と詠まれ、江戸時代には松尾芭蕉や歌川広重らも訪れました。国の名勝、重要文化的景観のほか、棚田百選にも選定されています。最寄駅のJR篠ノ井線・姨捨駅からの眺望は、日本三大車窓のひとつに数えられています。

姨捨の棚田

住所
長野県千曲市八幡姨捨
交通
JR篠ノ井線姨捨駅から徒歩20分
料金
情報なし

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Part.1 地図で読み解く長野の大地

・地形・地質総論「東西から圧縮されている長野」
・伊那山地と南アルプスを縦貫!日本最大の断層・中央構造線
・大地溝帯フォッサマグナとかつて信州が海だった証
・火山活動の歴史を物語る山容 八ヶ岳連峰の南北で大きな違い
・北アルプス唯一の活火山!焼岳の噴火と上高地盆地の形成
・天竜川と断層で形成された伊那谷の日本一の河岸段丘
・野尻湖のナウマンゾウ化石に旧石器人の生活が見える?
・千曲川沿いの段丘上に築かれ、急崖と川が守る上田城のすごさ

などなど長野のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 長野を駆け抜ける鉄道網

・高崎~長野の長野新幹線に始まり敦賀への延伸を目指す北陸新幹線
・66.7パーミルの勾配路線だった信越本線碓氷峠とは?
・東京と名古屋を結ぶ大幹線で山岳地帯を駆け抜ける中央本線
・明治期に開通し善光寺平と松本盆地を結ぶ篠ノ井線
・伊那谷やアルプスを望み旧型国電も走った飯田線
・県内最大の路線網を誇った、私鉄・長野電鉄の変遷
・別所温泉に向かう温泉電車、上田電鉄別所線の魅力

などなど長野ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 長野で動いた歴史の瞬間

・縄文遺跡の宝庫・信州は日本一の人口密度だった!?
・信濃の国は有数の馬産地! 都に名を馳せた望月の駒とは?
・弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として平氏討伐
・信州の南北戦争と呼ばれる大塔合戦はどうして起きた?
・甲斐武田信玄vs越後の上杉謙信、二大英雄が激戦を演じた川中島
・流転した善光寺の本尊は天下人の元に安置された?
・松本の貞亨騒動や上田の宝暦騒動 信州で百姓一揆が続発したわけ
・松本城が直面した取り壊し危機 救ったのは松本の住民だった!

などなど、激動の長野の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 長野で育まれた産業や文化

・江戸時代に整備された用水路 五郎兵衛用水路とは?
・信州の気候風土を生かした寒冷地農業のここがすごい!
・蚕糸王国として栄えた長野県が電気機械工業県に変貌したわけ
・明治期の外国人別荘に始まる軽井沢エリアのリゾート化
・洪水を繰り返してきた暴れ川、千曲川を巡る治水事業の全容
・日本三大奇祭に数えられる、諏訪大社の御柱祭の本質とは!?

などなど長野の発展の歩みをたどる。

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