更新日: 2024年1月13日
【戦国時代】明智光秀の戦略地図~秀吉の前に敗れ去った戦略なきクーデター
天下人の時代
本能寺の変の衝撃が日本全国を駆け巡ります。これにいち早く反応し、時を得た秀吉は天下統一へと邁進し、ついに戦乱を収束させます。だが、その天下は長くは続きませんでした。果たして戦国最後の勝者は誰か!?戦国の終焉を飾るファイナルラウンドが始まります!
外交に軍功と多方面で能力を発揮し、織田家の出世頭とった明智光秀。いっぽうで無計画とも思われた本能寺の変で信長を追い込んだ明智光秀は、味方が集まらないまま秀吉との決戦へと進みます。
目次
【戦国時代】本能寺の変勃発直後の情勢
中部から畿内にかけてが織田信長の勢力下に収まり、四国に長宗我部、中国に毛利が割拠。九州では島津氏がその大半を勢力化に収めようとしていました。いまだ群雄割拠の状態にあった東北では、伊達政宗が登場。奥州制覇に挑もうとしていました。
伊達政宗の台頭
伊達輝宗の子・政宗が天正9年(1581)に相馬氏との合戦で初陣を飾ります。
安土城の建築
天正4年(1576)、織田信長、安土城を建設します。
織田信長の天正馬揃え
天正9年(1581)、織田信長、京にて馬揃えを挙行。天下に威勢を示します。
天正10年(1582)6月2日本能寺の変が起こります。
毛利氏の抵抗
中国に割拠する毛利氏は、信長麾下羽柴秀吉の中国遠征に抵抗を続けます。
天正遣欧使節の派遣
天正10年(1582)、大友、有馬、大村三氏により天正遣欧使節が派遣されます。
島津氏の北進
島津氏は龍造寺隆信を戦死させて肥後・肥前を支配下に収め、大友氏制圧に本腰を入れます。
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