更新日: 2024年1月26日
松代大本営の移転計画とは?~戦争末期に極秘で進められていた工事~
太平洋戦争末期、日本は政府機能や皇居を長野県に移転する計画を立てていました。この松代(まつしろ)大本営地下壕は、終戦まで建設が続けられるのでした。
松代大本営の移転計画に至るまでの時代背景
1944(昭和19)年7月、サイパンを含むマリアナ諸島が陥落し、米軍の爆撃機B-29の航続可能距離内に日本の全土が含まれることになりました。日本のほぼ全域が爆撃可能になった、事実上の“チェックメイト”です。
松代大本営の移転計画が決まった理由
東条英機内閣はサイパン陥落の責任を取って総辞職することになりますが、その最後の閣議で、皇居や大本営、主要な政府機関を埴科(はにしな)郡松代町(長野市松代町)へと移転する工事が了承されました。東京湾に面した関東平野にある東京は、空襲に対する防衛機能が脆弱である点がかねてより危惧されていましたが、来るべき本土決戦に備え、中枢機能を守りやすい地下壕へと移すことが正式に決定されたのです。
松代大本営は地理的にも適した地に作られた
この「松代大本営地下壕」は、舞鶴山(まいづるやま)(現在の気象庁松代地震観測所)を中心に、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)の3山に碁盤目上に掘削されました。松代周辺が選ばれた理由としては、岩盤の固さが壕に適していた点や、長野飛行場に近いなどの地理的な条件が考慮されたようです。
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