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【戦国時代】本能寺の変~信長の懐刀が起こした戦国最大の謀反で時代が一変

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

【戦国時代】本能寺の変~信長の懐刀が起こした戦国最大の謀反で時代が一変

織田信長の時代
群雄割拠のなか、尾張に織田信長が登場し、前時代の有力大名・今川義元を討ち取ります。群雄が領土争いに明け暮れるなか、天下統一を見据えた信長は、上洛を目指した戦略をもとに美濃・伊勢を攻略していく。ここに天下統一へ向けた戦いが始まります!

秀吉救援に赴くべく京都入りした信長。天下統一に手をかけた信長は本能寺であえない最期を迎えます。

本能寺の変~秀吉救援に赴くべく京都入りした信長

天正10年(1582)6月、中国地方の羽柴秀吉の救援に向かう途中、京都本能寺に宿泊した織田信長は、2日早暁、大軍の包囲を受けます。

小姓の報告によれば、軍勢の旗の家紋は「桔梗(ききょう)」。明智光秀です

救援を待とうにも、当時、光秀のほかに大軍を抱える信長の重臣は京付近にいませんでした。

柴田勝家は北陸で上杉景勝と対戦中で、秀吉は備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)攻めの最中でした。

一方の光秀は、6月1日夜に1万3000の兵を率いて丹波国(たんばのくに)亀山城から備中(びっちゅう)へ向けて出発しました。

途中の老ノ坂(おいのさか)で進路を変更。情報漏洩(ろうえい)に細心の注意を払いながら京都方面へ向かいます。やがて、桂川(かつらがわ)の手前に至ったところで、「敵は本能寺にあり」と味方の兵に告げたとされます。

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