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大塔合戦の種となる信濃守護

室町幕府が成立した当初は在地の有力者が守護に任命されますが、次第に足利一門がその地位を奪うようになります。信濃国の場合、建武の新政(1333~1336年)では小笠原氏が守護職に任じられて北信濃に入府しましたが、1365(正平20・貞治4)年、信濃国の管轄が幕府から鎌倉府に移管されたことにともない、鎌倉公方(くぼう)の推薦で関東管領上杉家の一門・上杉朝房(ともふさ)が信濃守護に任じられました。かくして信濃国は二人守護制となったのです。そして、1377(天授3・永和3)年に信濃国が再び幕府の管轄下に入ると、斯波義将(しばよしまさ)の管領職就任にともない、その弟の義種(よしたね)が信濃守護に就任し、小笠原氏は罷免されます。のちに斯波義将は、みずから信濃守護となります。

大塔合戦の主軸となる小笠原長秀が信濃守護に着任

信濃守護への復職を悲願とした小笠原長基(ながもと)は三代将軍・足利義満に出仕し、義満の弓馬(きゅうば)師範となりました。1391(元中8・明徳2)年には明徳の乱に出陣し、さらに長基の次男・長秀(ながひで)は1399(応永6)年に応永の乱で活躍します。小笠原の家督を継いだ長秀は、晴れて将軍・義満から信濃守護に補任されたのでした。

大塔合戦はどうして起きた?

1400(応永7)年、新守護の小笠原長秀は、京から佐久間郡の大井光矩(みつのり)の館(佐久市)に入り、信濃中の国人領主に協力を求めましたが、長秀の強引な手法や高圧的な態度に、村上氏をはじめとする国人たちは一斉に反発しました。また、1349(正平4・貞和5)年~1352(正平7・文和元)年の観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)の際に、信濃国内で争って以来、小笠原氏を「故敵当敵(こてきとうてき)」(昔の敵は今も敵)と敵視していた国人領主たちが連合体「大文字一揆」を形成し、長秀の守護罷免を要求するのでした。

大塔合戦が「信濃の南北戦争」と呼ばれるゆえん

また、1352(正平7・文和元)年9月には村上氏、佐久氏、高梨氏など北信から東信の武士が篠井岡(長野市)で挙兵し、これに大文字一揆が加担しました。いっぽうの小笠原氏側には南信(伊那地方)の武士が多かったため、この大塔(おおとう)合戦を「信濃の南北戦争」と呼ぶ人も多い。

小笠原氏は信濃守護に補任されてから、春近領(はるちかりょう)(伊那市)などを守護領にしていたため、小笠原氏側には南信の武士が多くいました。
『図説 長野県の歴史』(河出書房新社、1988年)を元に作成。

大塔合戦の結末とその後

小笠原長秀は善光寺を出て横田河原(よこたがわら)(長野市篠ノ井)に布陣しますが、旗色が悪いと判断して塩崎城(長野市篠ノ井)と大塔(場所については諸説あり)の要害に分散して撤退しました。籠城の備えのない大塔は早々に陥落し、長秀は窮地に追い込まれますが、大井光矩が村上満信(みつのぶ)らに取りなして一揆勢を撤収させました。この結果、長秀は守護職を解任され、信濃国は幕府の直接支配下に置かれ、斯波義将が守護に復帰しました。以降も信濃国では有力国人が割拠し、国人一揆は断続的に引き起こされていくのでした。

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Part.1 地図で読み解く長野の大地

・地形・地質総論「東西から圧縮されている長野」
・伊那山地と南アルプスを縦貫!日本最大の断層・中央構造線
・大地溝帯フォッサマグナとかつて信州が海だった証
・火山活動の歴史を物語る山容 八ヶ岳連峰の南北で大きな違い
・北アルプス唯一の活火山!焼岳の噴火と上高地盆地の形成
・天竜川と断層で形成された伊那谷の日本一の河岸段丘
・野尻湖のナウマンゾウ化石に旧石器人の生活が見える?
・千曲川沿いの段丘上に築かれ、急崖と川が守る上田城のすごさ

などなど長野のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 長野を駆け抜ける鉄道網

・高崎~長野の長野新幹線に始まり敦賀への延伸を目指す北陸新幹線
・66.7パーミルの勾配路線だった信越本線碓氷峠とは?
・東京と名古屋を結ぶ大幹線で山岳地帯を駆け抜ける中央本線
・明治期に開通し善光寺平と松本盆地を結ぶ篠ノ井線
・伊那谷やアルプスを望み旧型国電も走った飯田線
・県内最大の路線網を誇った、私鉄・長野電鉄の変遷
・別所温泉に向かう温泉電車、上田電鉄別所線の魅力

などなど長野ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 長野で動いた歴史の瞬間

・縄文遺跡の宝庫・信州は日本一の人口密度だった!?
・信濃の国は有数の馬産地! 都に名を馳せた望月の駒とは?
・弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として平氏討伐
・信州の南北戦争と呼ばれる大塔合戦はどうして起きた?
・甲斐武田信玄vs越後の上杉謙信、二大英雄が激戦を演じた川中島
・流転した善光寺の本尊は天下人の元に安置された?
・松本の貞亨騒動や上田の宝暦騒動 信州で百姓一揆が続発したわけ
・松本城が直面した取り壊し危機 救ったのは松本の住民だった!

などなど、激動の長野の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 長野で育まれた産業や文化

・江戸時代に整備された用水路 五郎兵衛用水路とは?
・信州の気候風土を生かした寒冷地農業のここがすごい!
・蚕糸王国として栄えた長野県が電気機械工業県に変貌したわけ
・明治期の外国人別荘に始まる軽井沢エリアのリゾート化
・洪水を繰り返してきた暴れ川、千曲川を巡る治水事業の全容
・日本三大奇祭に数えられる、諏訪大社の御柱祭の本質とは!?

などなど長野の発展の歩みをたどる。

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