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木曽義仲は父の死後、2歳で木曽谷に匿われる

このうち源為義は河内源氏の棟梁で、その長男に義朝(よしとも)(頼朝・義経の父)、次男に義賢(よしかた)(木曽義仲の父)がいました。義朝は鎌倉(神奈川県鎌倉市)、義賢は大蔵(おおくら)(埼玉県比企(ひき)郡)に拠点を構えていましたが、義朝の長男・義平(よしひら)(頼朝・義経の兄)と義賢が対立します。1155(久寿2)年に義平が大蔵館を急襲し、義賢を討ち取りました(大蔵合戦)。このとき2歳だった木曽義仲は、信濃国の木曽谷に匿われることとなったのです。

木曽義仲が平氏討伐に立ち上がるまでの背景

1156(保元元)年、鳥羽上皇の死を契機として、朝廷では皇位継承問題が勃発します。後白河天皇方と崇徳(すとく)上皇方に分かれて戦う政変は、双方による武力衝突へと発展(保元の乱)し、後白河天皇を勝利に導いた源義朝平清盛の政界での発言権が増しました。ですが、1159(平治元)年に源義朝と平清盛が対立(平治の乱)すると、源義朝は討たれ、平家(清盛の伊勢平氏)が全盛を迎えることになります。

望月氏は望月牧、諏訪氏は山鹿(やまが)牧・岡谷牧など、信濃武士の多くは牧にかかわった武士であることが推測されます。
『図説 長野県の歴史』(河出書房新社、1988年)を元に作成。

木曽義仲と信濃武士は次々と平氏を打倒して京へ

そして1180(治承4)年5月、以仁王(もちひとおう)(後白河天皇の第三皇子)は平氏打倒の令旨(りょうじ)を発し、諸国の源氏に蜂起を促します。これを受けて同年8月に伊豆国(静岡県)で源頼朝が挙兵し、翌9月には木曽義仲も更級(さらしな)・埴科(はにしな)郡の平氏領を襲撃したのです。木曽義仲はいったん父の旧領・上野国(こうずけのくに)多胡(たご)郡で戦力を整え、1181(治承5)年6月に小県(ちいさがた)郡白鳥河原(東御(とうみ)市)の依田(よだ)城で挙兵します。更級郡小谷八幡宮(千曲市)で戦勝祈願をし、以後、次々と平氏を打倒して1183(寿永2)年7月に入京を果たしたのです。

木曽義仲は貴族たちの信望を得られず、源義経に敗れ討死

その過程で多くの信濃武士が木曽義仲の傘下に組み入れられていきました。ただ、入京後の木曽義仲は貴族たちの信望を得られず、源義経に敗れて近江国(おうみのくに)粟津(あわづ)(滋賀県大津市)で討死してしまいます。このとき多くの信濃武士が木曽義仲と最期をともにしたとされています。のち源頼朝は、木曽義仲とゆかりの深い武士を信濃国御家人として登用し、比企能員(ひきよしかず)に統括させるのでした。

【番外編】木曽義仲ゆかりの木曽に土着した日本原産馬

木曽馬とは、古墳時代中期頃に大陸から朝鮮半島を経由して日本に伝来し、木曽郡を中心とする地域で成育されてきた日本の在来馬です。平均体高は133㎝と、サラブレッド(体高約160~170 ㎝)に比べて小柄でポニーのような大きさですが、丈夫で穏やかな性格のため、軍用馬、農耕馬、荷馬として利用されてきました。日清戦争以降、軍用馬としての需要が増え、大正時代には飼育頭数は7000頭に達しますが、国の軍用馬政策の変更などにより激減しました。一時は絶滅の危機に瀕しますが、現在は愛好家らに保護育成されています。

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長野県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。長野の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く長野の大地

・地形・地質総論「東西から圧縮されている長野」
・伊那山地と南アルプスを縦貫!日本最大の断層・中央構造線
・大地溝帯フォッサマグナとかつて信州が海だった証
・火山活動の歴史を物語る山容 八ヶ岳連峰の南北で大きな違い
・北アルプス唯一の活火山!焼岳の噴火と上高地盆地の形成
・天竜川と断層で形成された伊那谷の日本一の河岸段丘
・野尻湖のナウマンゾウ化石に旧石器人の生活が見える?
・千曲川沿いの段丘上に築かれ、急崖と川が守る上田城のすごさ

などなど長野のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 長野を駆け抜ける鉄道網

・高崎~長野の長野新幹線に始まり敦賀への延伸を目指す北陸新幹線
・66.7パーミルの勾配路線だった信越本線碓氷峠とは?
・東京と名古屋を結ぶ大幹線で山岳地帯を駆け抜ける中央本線
・明治期に開通し善光寺平と松本盆地を結ぶ篠ノ井線
・伊那谷やアルプスを望み旧型国電も走った飯田線
・県内最大の路線網を誇った、私鉄・長野電鉄の変遷
・別所温泉に向かう温泉電車、上田電鉄別所線の魅力

などなど長野ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 長野で動いた歴史の瞬間

・縄文遺跡の宝庫・信州は日本一の人口密度だった!?
・信濃の国は有数の馬産地! 都に名を馳せた望月の駒とは?
・弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として平氏討伐
・信州の南北戦争と呼ばれる大塔合戦はどうして起きた?
・甲斐武田信玄vs越後の上杉謙信、二大英雄が激戦を演じた川中島
・流転した善光寺の本尊は天下人の元に安置された?
・松本の貞亨騒動や上田の宝暦騒動 信州で百姓一揆が続発したわけ
・松本城が直面した取り壊し危機 救ったのは松本の住民だった!

などなど、激動の長野の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 長野で育まれた産業や文化

・江戸時代に整備された用水路 五郎兵衛用水路とは?
・信州の気候風土を生かした寒冷地農業のここがすごい!
・蚕糸王国として栄えた長野県が電気機械工業県に変貌したわけ
・明治期の外国人別荘に始まる軽井沢エリアのリゾート化
・洪水を繰り返してきた暴れ川、千曲川を巡る治水事業の全容
・日本三大奇祭に数えられる、諏訪大社の御柱祭の本質とは!?

などなど長野の発展の歩みをたどる。

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