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木曽義仲~弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として兵士討伐~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

木曽義仲~弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として兵士討伐~

信濃国に武士団が形成されたのは、およそ10世紀のこと。平安時代末期から、信濃武士が歴史の表舞台で重要な役割を果たしていきます。

信濃武士が誕生するまでの時代背景

律令体制下で中央集権化が進むと、政府は蝦夷(えぞ)(中央政府に服属しない人々)を征服していきました。朝廷政府に降伏した蝦夷は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれ、各国に移住させられますが、政府の支配力が低下すると反乱を起こします(俘囚の乱)。9世紀には出雲国(島根県)、上総国(千葉県)、下総国(千葉県)、下野国(栃木県)、出羽国(秋田・山形県)、再び上総国と、立て続けに俘囚の乱が発生します。なかでも878(元慶2)年に出羽国で起きた蜂起(元慶の乱)は規模が大きく、秋田城や郡衙が襲われました

信濃武士は源氏の流れをくむ河内源氏がルーツ

朝廷は安定化を図るために国司を任命し、受領(ずりょう)国司は一族郎党を引き連れて任国に下向し、在地勢力を組織して武装化しました。これが武士団の始まりです。信濃国には、清和源氏の流れを汲む河内(かわち)源氏から任官する者が多く、土着した源氏が信濃源氏(満快(みつよし)流、頼清(よりきよ)流、頼季(よりすえ)流、義光(よしみつ)流、為義(ためよし)流など)を形成していきます。

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