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御牧ヶ原の歴史~都に名を馳せた「望月の駒」を育てた日本有数の馬産地~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

御牧ヶ原の歴史~都に名を馳せた「望月の駒」を育てた日本有数の馬産地~

御牧ヶ原はかつて日本でも有数の馬産地でした。朝廷への軍馬の献上は、歌人に歌われるほど、文化として定着していったのです。

長野県域が日本有数の馬産地となったきっかけ

古代の長野県域は、日本でも有数の馬産地となっていきました。その契機となったのが、ヤマト王権による朝鮮半島への侵攻です。古墳時代中期(5世紀)、朝鮮半島で高句麗(こうくり)の騎馬戦法に触れたヤマト王権は、騎馬の導入を企図(きと)し、軍馬の飼育を励行しました。それ以前から日本列島にも馬は存在したが、小柄で軍馬には不向きでした。そこでヤマト王権は半島から馬を輸入し、さらに繁殖や飼育の技術を持つ高句麗人を招聘(しょうへい)したのです。

長野県域に「牧」が開設

このときに軍馬の生産地として白羽の矢が立ったのが長野県域でした。県域には「牧(まき)」(軍馬の飼育を目的とする牧場)が開設され、牧を経営するために高句麗系の渡来人(とらいじん)が移住させられました。
やがて645(大化元)年の大化の改新を経て中央集権化が進むと、700(文武4)年には律令制に基づく牧の設置が命じられ、牧は律令政府の管理する官設の「国牧(こくまき)」となります

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