更新日: 2024年1月26日
森将軍塚古墳が曲がっているわけ~長野県内最大の前方後円墳~
善光寺平南部の千曲川両岸には大型の前方後円墳が築造されました。長野県最大の森将軍塚古墳とは、どのような前方後円墳なのでしょうか。
目次
森将軍塚古墳が造営された時代背景
縄文時代後期から集落が多く見られるようになった千曲川流域では、弥生時代に入ってからも川田条里遺跡(かわだじょうりいせき:長野市)や石川条里遺跡(いしかわじょうりいせき:長野市)などが形成され、水田の遺構が見つかっています。
そして古墳時代になると、長野県域にもヤマト王権が伸長してきます。ヤマト王権は3世紀に畿内(きない)に興った政治権力で、服属した豪族に対しては鏡を贈り、前方後円墳の造営を許していました。このため、前方後円墳の築造年代を調べることでヤマト王権の伸長していった経路がわかるのですが、4世紀中頃から千曲川の両岸で前方後円墳がつくられるようになるので、この頃には埴科(はにしな)地方の首長たちはヤマト王権と結びついていたことが推測されています。
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