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草軽電気鉄道の歴史~軽井沢と草津温泉を結んだ大正生まれの鉄道~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

草軽電気鉄道の歴史~軽井沢と草津温泉を結んだ大正生まれの鉄道~

所要時間3時間半ほどで、軽井沢と草津温泉を結んでいた高原列車の草軽電気鉄道。廃線跡には急行バスが走り、現在もルートは引き継がれています。

草軽電気鉄道の歴史は草津軽便鉄道から始まる

かつて、避暑地・軽井沢と日本三名泉のひとつに数えられる草津温泉を結ぶ鉄道がありました。草軽電気鉄道(くさかるでんきてつどう)です。

同鉄道は1915(大正4)年7月、新軽井沢~小瀬(こせ)温泉間の約10㎞を開業させた草津軽便鉄道(けいべんてつどう)が始まりで、1917(大正6)年に吾妻(あがつま)まで、1919(大正8)年11月には嬬恋(つまごい)駅まで延伸。1924( 大正13)年11月に電化され、草軽電気鉄道に改称します。1926(大正15)年9月、新軽井沢~草津温泉間の55.5㎞が全通しました。

軽便鉄道ではめずらしい電化路線で、スイスの登山鉄道を模範にしたといいます。高原をいく風景が注目され、国産初のカラー映画『カルメン故郷へ帰る』の舞台にもなりました。旅客のほか、生活物資や白根山から産出する硫黄などの貨物輸送も行っていました。全線を通してトンネルはなく、急勾配と急カーブの連続でスイッチバックもあり、速度が遅いため所要時間は3時間半かかったそうです。

草軽電気鉄道の路線

草軽電気鉄道は急カーブと標高差を克服するため、万座温泉口駅ほか各所にスイッチバックが導入されています。全通によって草津温泉の湯治客が急増しました。また夏は、「四千尺高原の遊覧電車」をキャッチフレーズに避暑客目当ての納涼電車を運転。大正末期~昭和10年代にかけて沿線は発展しました。1962(昭和37)年の路線廃止時点で55.5㎞を21駅で結んでいました。

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