更新日: 2024年1月26日
上田城の強さは地形にあり!~急崖と川が守る鉄壁の城塞~
垂直にそそり立つ、千曲川の段丘崖に守られた上田城。周囲の河川の流れを変えて外堀とするなど、自然を味方につけた城づくりは鉄壁を誇ります。
目次
上田城の地形の特徴となる河岸段丘の段丘崖は徳川軍を2度も跳ね返したことで有名
2度にわたって徳川軍を跳ね返し、その名を世に知らしめた上田城。1583(天正11)年に真田昌幸(さなだまさゆき)によって築かれたこの城での防衛戦は、真田家の知略に長けた戦いを現在に伝えています。
上田城の地形を活かした徳川軍との戦い①(1585年)
1585(天正13)年、真田昌幸は対立する徳川の軍勢約7000を2000に満たない兵力で迎え撃ちました。第一次上田合戦と呼ばれるこの戦いでは、おびき寄せられるように徳川軍が城下に迫ると真田昌幸が大手門から一気に反撃。真田昌幸の長男・信幸(のぶゆき)らが横槍を入れ、徳川軍は新川まで追いやられました。折からの増水で溺れる者が続出し、死者は真田軍約40人に対し徳川軍は1300人余。真田軍の大勝となったのです。
上田城の地形を活かした徳川軍との戦い②(1600年)
1600(慶長5)年の第二次上田合戦では、徳川秀忠率いる3万8000の大軍をわずか3000ほどの兵で撃退します。城内から討って出ては引き、引いては討って出てと小競り合いを繰り返して防衛。時間ばかりが過ぎるなか秀忠は攻略を断念しました。
これには真田の戦略に加えて、堅牢な城構えが重要な役割を果たしています。その最たるものが、河岸段丘の段丘崖です。上田城南西は千曲川の分流である尼ヶ淵(あまがふち)に面しており、高さが10mにも及ぶ垂直な崖が敵兵を寄せ付けなかったのです。
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