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武田勝頼の戦略地図~選択を誤り続けて家臣、一族に離反され滅亡

武田勝頼はさらに外交でも迷走しています。天正6年(1578)に上杉謙信没後の家督を争った「御館(おたて)の乱」では、当初同盟相手の北条氏出身の景虎(かげとら)を支持していましたが、途中で対抗馬の景勝(かげかつ)に与して北条氏を敵に回してしまいます

それに代わり御館の乱を制し、上杉家の当主となった景勝と同盟しましたが、織田・徳川・北条を敵に回し、高天神城を徳川に奪回されると武田の凋落は誰の目にも明らかになりました。

木曾義昌の寝返りを機に家臣の離反が続き、天正10年(1582)2月、織田軍の侵攻を受けて、武田家臣団は崩壊。最後は小山田氏(おやまだし)の裏切りに遭って勝頼は天目山麓で自害しました。

迷走を続けた武田勝頼

武田信玄の死の翌年には徳川方の高天神城を攻略してみせた武田勝頼でしたが、その後は外交で迷走し、御館の乱に介入して北条氏の信頼を失ってしまいます。さらに長篠・設楽原の戦いで大敗を喫すると、高天神城を救援できずに落とされてしまいます。結果、多くの家臣が離反し、破滅を迎えることとなります。

戦国の豆知識:武田勝頼の戦略地図

勝頼は伝馬法度を改訂し、領内の伝馬宿にかかる負担軽減を図りました。また、新府城を築いて織田勢の侵攻に備えています。

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『地図でスッと頭に入る戦国時代』見どころ

【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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