手取川の戦い~北陸で激突した上杉と織田
天正4年(1576)、越中を攻略した上杉謙信は、能登へと兵を進めました。翌年の7月、守護畠山(はたけやま)氏の居城七尾城(ななおじょう)を包囲します。七尾城側では城内に疫病(えきびょう)が発生し、当主の春王丸(はるおうまる)までもが病死するという悲惨な事態となります。そこで重臣の長続連(ちょうつぐつら)は、織田信長に援軍を要請しました。
謙信と信長は数年前まで同盟を結んでいた間柄でしたが、信長が北陸進出を始めたために同盟は破綻。互いにもはや衝突を避けて通れない相手となっていたのです。
手取川の戦い~電光石火の追撃で柴田勝家率いる織田軍を渡河中に襲った謙信
信長は8月8日、重臣の柴田勝家を大将とする4万の軍勢を編成し、援軍として七尾城に派遣します。
それを知った謙信は9月15日、城内の内紛に乗じて七尾城を陥落させると、信長を加賀で迎え撃つため、驚異的なスピードで南下し、23日に松任城(まつとうじょう)に到達しました。
これに対し、手取川を渡ったところで七尾城陥落を知った織田軍は、目的を失ったため、退却を始めます。謙信が目と鼻の先の松任城にいることなど知るよしもありませんでした。
織田勢の退却を好機と見た謙信は、23日深夜、渡河中の織田軍を急追して強襲。電撃的な攻撃を受けた織田軍が混乱の極みに達するなか、上杉軍は織田軍の将兵1000余りを討ち取る一方的な勝利をおさめました。
戦国の豆知識:手取川の戦い
手取川の戦いで圧勝した上杉謙信は、『歴代古案』に収録されている書状のなかで、「(信長は)案外に手弱の様体、この分に候わば、向後天下(京都)までの仕合わせ、心やすく候」と述べています。
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『地図でスッと頭に入る戦国時代』見どころ
【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)
『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者
小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。
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