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広島のお好み焼きの歴史は戦後に普及
一銭洋食が脚光を浴びたのは、戦後になってからです。
終戦直後の食料難は、日本全国で深刻でした。特に広島市内中心部は原爆投下で焼け野原になり、食料調達もままなりません。とにかく空腹を満たすための食べ物と、食べていくための道が必要でした。
戦争や原爆で夫を亡くした女性たちを中心に生活のために営み始めたのが、一銭洋食店です。広島は軍都だったため、市内中心部に鉄を扱う工場がたくさんありました。軍需工場からの払い下げもあったため鉄板が手に入りやすく、一銭洋食を始めやすかったのです。
アメリカ軍が食料支援のために小麦粉を配給したこと、広島市観音地区が観音ネギの産地だったことなど、食材も比較的調達しやすい環境でした。
広島のお好み焼き店に「○○ちゃん」という店名が多い理由
「○○ちゃん」という名前の店舗が目立つのは、店主が自分や家族の名前を付けたからです。そうすれば、戦地から帰って来た家族に気付いてもらえるかもしれないという事情もあったようです。
次第においしくてボリュームのあるキャベツが主流となり、一銭洋食という名前は「好きなものを入れて食べる」という意味の「お好み焼き」に変化しました。
広島スタイルのお好み焼きの定着
昭和30年代になると、西新天地公共広場を中心にお好み焼き店などの屋台が集まるようになりました。狭い店では注文が立て込むとすぐに鉄板がいっぱいになってしまうため、お好み焼きの上に焼きそばを乗せて提供することもあったのだとか。それがいつの間にかメニューとなり、現在広島で提供されているような「野菜やそばを重ねて焼き上げるスタイル」が定着したという説があります。
また、住宅の一部を改装してお好み焼きを提供する「お好み焼き店」も増加。女性が営む地域密着型の店舗は、広島のお好み焼き文化の普及を支えました。
広島のお好み焼き店が集合する「お好み村」が誕生
昭和40年代になると治安維持のため屋台が立ち退きの対象となり、お好み焼き店が集合する建物が完成。
広島東洋カープのセ・リーグ初優勝がテレビ中継されたことをきっかけに、広島のお好み焼きが全国的に知られるようになり、現在まで愛されています。
広島のお好み焼きとソースの甘い関係
「お好みソースの匂いがすると、広島に帰って来た気がする」と言う広島県民も多いのではないでしょうか。広島のお好み焼きに欠かせない調味料といえば、「お好みソース」です。コクのある甘さととろみが特徴で、麵やキャベツとの相性は抜群です。
製造しているのは、広島市西区に工場を構えるオタフクソース株式会社。ソース類では国内の生産量シェア25%の最大手で、お好み焼きソースの売上は全国1位を誇ります。広島市は1世帯あたりのソース購入金額が全国1位。お好み焼きとともに、お好みソースも愛されています。
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<コラム>
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