更新日: 2024年1月26日
大久野島は毒ガス製造など軍事の拠点だった~三度の戦争に巻き込まれた秘密の島~
竹原市の沖合に浮かぶ大久野島は、多くの観光客が訪れる人気の観光スポットです。
しかしこの島は一時期、軍事機密として日本の地図から消されていました。
目次
大久野島は芸予要塞として日清戦争を機に軍事拠点に
大久野島は、周囲約4kmの小さな無人島。江戸時代には三次(みよし)藩の領地であり、ごく小さな集落が形成されていました。穏やかだった島は日清戦争後、軍事上の重要拠点として注目されることとなります。
明治時代、敵艦隊の侵入阻止は国防の大きな課題でした。軍都・広島と軍港・呉を守るため、広島県内には「広島湾要塞(宮島・江田島・呉)」と「芸予要塞(大久野島・愛媛県小島)」が整備されました。
大久野島には南部砲台・中部砲台・北部砲台が建造され、22門の大砲が配置されました。特に山頂に位置する中部砲台には、当時最新鋭だった28cm榴弾砲(りゅうだんほう)を6門配備。そのうち2門は日露戦争の際に遼東半島に運ばれ、旅順攻略戦に使用されています。
広島湾要塞と芸予要塞
瀬戸内海防衛の要となった、広島湾要塞と芸予要塞。敵艦隊の瀬戸内海侵入を阻止するため、多くの大砲が配置されました。
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