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広島の干拓によって島から山になった「比治山」と「黄金山」

干拓が海に向かって繰り返されると、やがて海に浮かぶ島が取り込まれて陸地化し、山となりました。その例が比治山(ひじやま)と黄金山(おうごんざん)です。

比治山周辺では築城期から細かな干拓が行われていましたが、1662(寛文2)年に広島藩が比治山と仁保島(にほじま)(現在の黄金山)を繋ぐ形で大堤防を築き、島の間に形成されていた浅瀬を干拓しました。この時に誕生したのが仁保島西新開(のちの皆実(みなみ)新開、現在の皆実町一帯)と仁保島東新開(現在の東雲(しののめ)・東雲本町・仁保一帯)で、現在の黄金山通りは、この時築かれた大堤防の一部です。

仁保島西・東新開には、縦横に直行する形で直線的な道路が設けられ、整然と碁盤目状に区画されました。これらの道は現在でも残されており、黄金山のふもとからまっすぐ比治山を望むことができる道路もあります。

広島の干拓によって島から山になった「江波山」

江波(えば)山・江波皿山・丸子山はもともと江波島と呼ばれる島で、広島城下町の外港としての役割を果たしていました。海路で運ばれてきた荷物は江波島の港で荷揚げされ、川船に積み替えられて城下中心部まで運ばれていたのです。

江波島の北側は、羽田別荘(中区舟入町)あたりが築城期の海岸線だったと推定されています。その後、比較的大きな干拓が行われ、1679(延宝7)年には現在の吉島橋付近まで陸地が形成されます。さらに1811(文化8)年には島から北に向かって干拓が行われて北側の陸地とほとんど繋がり、明治初頭には完全に陸続きとなっています。

広島の干拓によって生まれた南観音地区・観音新町地区

南観音地区も江戸時代の干拓によって生まれた土地です。さらにその南の観音新町地区は、昭和初期から現代に至って行われた埋め立てによって誕生しています。

埋め立てはさまざまな場所から土を運んでくるため、農地以外の用途(工業用地や物流拠点など)として利用されることが多いようです。

広島は干拓によって土地が3倍に!

築城当時と現在を比べると、土地が3倍程度増加しています。太田川が運ぶ土砂と先人たちの知恵と苦労が、これだけの広さの土地を作り出したのです。

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広島県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。広島県の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

【見どころー目次より抜粋】

Part.1:地図で読み解く広島の大地
冷泉数はトップクラス!?知られざる広島と温泉の関係
宮島の紅葉谷は人工的に造られたものだった!
断崖絶壁に建立された千光寺と尾道の町並みの秘密 ほか

Part.2:広島を駆ける充実の交通網
歴史に翻弄された路線 幻の「国鉄宇品線」に迫る
JR天神川駅の駅名になっている天神川ってどこにあるの?
廃線となった可部線の復活劇!全国初のその経緯とは? ほか

Part.3:広島で動いた歴史の瞬間
神武天皇も広島に来た?神武東征ゆかりの地を巡る
海上交通網を制するためあえて三角州に広島城を築城
4年間で県名が5回も変更 譜代大名ゆえの苦悩とは? ほか

Part.4:広島で生まれた産業や文化
レモンは瀬戸内海がお好き?広島県のレモン栽培
平清盛が崇敬した嚴島神社の魅力を探る
広島に「○○ちゃん」というお好み焼き店が多いわけ ほか

<コラム>
データで分かる全23市町 人口、観光、農業・漁業
絵図と写真で見る広島の鉄道
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絵図で見る安芸の宮島 ほか

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