更新日: 2024年1月26日
広島市は干拓で生まれた大地!黄金山も江波山も島だった
広島市内には、比治山や黄金山・江波山など、いくつかの山が点在しています。
しかし広島は、三角州の上に広がる町です。
三角州の中に、なぜ山があるのでしょうか。
目次
広島市の中心地域は昔は海だった
広島市は、太田川が運んだ土砂によって生まれた土地です。広島市中心地域は、もともと海だったのですが、太田川が運ぶ土砂が河口にたまり、自然に陸地を形成。こうして生まれたのが、三角州(デルタ)です。
1400年代から三角州が形成されはじめ、広島城築城期には平和大通りあたりまで陸地が成長していたといわれています。
広島市は干拓を実施して土地を広げた
広島城が築城される以前の広島市内は、こうして生まれた三角州が島のように点在している状態で、十分な広さはありませんでした。城下町が経済的に発展するためには、広い土地が必要です。広島藩は藩の事業として干拓を何度も実施し、個人による小規模干拓も活発に行われました。
広島は干拓向きだった
干拓とは、遠浅の海や干潟を仕切って水を抜き、そのまま干上がらせて陸地にする方法です。
広島の海岸線は太田川が常に土砂を運び続けている関係で、遠浅になりやすくなっています。「海岸線に、自然と土砂がたまる」「ある程度たまったら、堤防を築いて水を干す」「干拓によって土地が広がる」という手順で、広島の土地は少しずつ広がっていきました。
広島の場合、干拓地では綿花が栽培されることが多くありました。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!