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三方ヶ原の戦い~浜松城素通りによって戦場へおびき出された家康

そうした信玄と家康が衝突したのが、元亀3年(1572)12月の三方ヶ原の戦いです。信玄は信長と対立する将軍・足利義昭の要請を受けて西上を開始していました。

遠江に侵入して二俣城などを落とした信玄を、家康は浜松城に籠城して迎え撃とうとしましたが、なんと2万5000の武田軍が浜松城を素通りしていってしまいます。

そこで家康は、武田軍が三方ヶ原の台地上から祝田(ほうだ)坂を下るところを背後から襲おうと城を出て追撃しましたが、徳川勢が迫ったところで、坂上の武田軍が陣形を整えた状態で突如反転。城からおびき出されたことを家康が悟った時にはすでに遅く、兵力と地力に勝る信玄の猛攻に成す術なく大敗を喫しました。

多くの家臣が犠牲になるなか、家康は危機一髪で浜松城に逃げかえったとされます。

武田信玄におびき出された家康

元亀3年(1572)12月に起こった三方ヶ原の戦いにおいて、浜松城に籠る家康を城外へおびき寄せて野戦へと持ち込むべく、信玄は城の手前で迂回するという陽動作戦をとります。家康はこれにまんまとはまり、三方ヶ原で大敗を喫することとなります。

戦国の豆知識:三方ヶ原の戦い

家康が無謀な出陣を決意したことについては、信長に対する面子を守る一方、負け戦を恐れて城に籠った場合、三河家臣団に見限られる可能性があったためともいわれます。

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【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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