更新日: 2024年1月13日
三増峠の戦いと今川家滅亡~武田・徳川の挟撃で戦国今川氏が滅亡!
織田信長の時代
群雄割拠のなか、尾張に織田信長が登場し、前時代の有力大名・今川義元を討ち取ります。群雄が領土争いに明け暮れるなか、天下統一を見据えた信長は、上洛を目指した戦略をもとに美濃・伊勢を攻略していく。ここに天下統一へ向けた戦いが始まります!
信玄・家康が今川領に侵攻戦国大名・今川氏が滅亡しました。北条勢の追撃を交わした信玄と三増峠の戦いとは!
三増峠の戦いと今川家滅亡~信玄・家康が今川領に侵攻戦国大名・今川氏が滅亡する
信濃・西上野の攻略に目途をつけた武田信玄は、今川義元を失い、その子・氏真(うじざね)が継ぐも衰退著しい駿河に狙いを定めます。
三国同盟を破棄した信玄は、永禄11年(1568)、三河の徳川家康と共謀して、東西から今川領に侵攻しまいた。
信玄は薩埵峠(さったとうげ)の防衛ラインを突破すると、駿府に侵入します。氏真が遠江掛川(とおとうみかけがわ)へ逃亡したため、武田軍は駿府を占領しました。
一方、氏真が逃亡した先の掛川には徳川家康が迫っていました。半年にわたる籠城戦の末に、氏真は城を明け渡し、岳父(がくふ)の北条氏康の下へ落ちのびていきました。
これにより戦国大名としての今川氏は滅亡します。
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