更新日: 2024年1月13日
沖田畷の戦い~島津家の強さが発揮された龍造寺との決戦
織田信長の時代
群雄割拠のなか、尾張に織田信長が登場し、前時代の有力大名・今川義元を討ち取ります。群雄が領土争いに明け暮れるなか、天下統一を見据えた信長は、上洛を目指した戦略をもとに美濃・伊勢を攻略していく。ここに天下統一へ向けた戦いが始まります!
有馬氏の寝返りが呼んだ湿地帯の決戦。〝肥前の熊〟龍造寺隆信混戦のなかに散りました。
沖田畷の戦い~有馬晴信の寝返りが呼んだ湿地帯の決戦
北上した島津軍は、天正6年(1578)に耳川の戦いで、敵を三方から包囲する釣(つ)り野伏(のぶ)せの戦法で大友軍を撃破します。日向を手に入れると、天正12年(1584)、龍造寺隆信が押さえる肥後へ侵攻し、沖田畷(おきたなわて)の戦いとなりました。
戦いの発端は、それまで龍造寺氏に属していた有馬晴信(ありまはるのぶ)が島津義久に通じたことです。これを討つべく、隆信が3万の兵を率いて出陣してきたのです。
対する島津勢は、有馬勢を合わせても8000程。そこで島津軍の大将・島津家久は、湿地帯と細道が続く沖田畷で待ち伏せすることにしました。
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