更新日: 2024年1月13日
島津義久の戦略地図~島津四兄弟が北上を続け九州統一目前
島津義久を大将に頂き、島津四兄弟が躍動。龍造寺・大友を破り、九州統一を目前にした島津氏。
島津義久の戦略地図~義久を大将に頂き島津四兄弟が躍動
鎌倉時代以降、薩摩(さつま)の守護として君臨してきた島津氏は、戦国期に入ると、九州統一に乗り出しました。
その絶頂期を築いたのが、永禄9年(1566)に家督を継いだ義久(よしひさ)とその弟たちの島津四兄弟です。
大将の器量を持つ長男・島津義久、武勇の次男・島津義弘(よしひろ)、知略に優れた三男・島津歳久(としひさ)、戦術に長けた四男・島津家久(いえひさ)と、各自が有能な武将でした。
島津義久が国元で作戦全般の采配を振るい、島津義弘が遠征軍を率いる体制で九州平定戦を展開していきました。
島津氏は、元亀3年(1572)頃までに薩摩一円を掌握し、さらに大隅(おおすみ)も制圧します。南側を海とし背後に敵をもたない島津氏はその地の利を生かして九州を北上しました。
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