板付遺跡は弥生時代前期初頭の環濠集落
この発見を受け、板付遺跡では昭和26(1951)年から4か年にわたり、日本考古学協会による本格的な発掘調査が開始され、板付の台地上をめぐる溝が発見されました。
深さ1m以上、Ⅴ字形の溝からは、夜臼式土器と板付式土器が一緒に出土し、日本種の炭化米も見つかりました。
その後、昭和43(1968)年、明治大学が中心となった発掘調査の結果、Ⅴ字形の溝が台地の高所を一周することが確認され、弥生時代前期初頭の環濠集落であることが分かりました。
板付遺跡は日本最古の水田
昭和53(1978)年、環濠集落が発見された地点の南西側で発掘調査が行われ、弥生人の日々の糧を生産する水田跡を発見。水田跡は上下2面にわたって確認でき、上層の水田からは夜臼式土器と板付Ⅰ式土器が同時に出土、調査の結果、弥生時代前期初頭、環濠集落が作られた頃の水田であることが判明しました。
そして、下層の水田から出土する土器は夜臼式土器のみで、出土遺物から弥生時代までさかのぼる水田跡であると考えられます。
縄文時代の終末と考えられてきた夜臼式土器の地層にも水田があったことは、「縄文時代の水田」としてニュースにもなりました。
ほかにも石包丁や石器などが出土し、弥生時代はじまりの具体像を明らかにする材料は見つかったのですが、これらは弥生時代の定義についても再検討を促すものでありました。
この水田は、夜臼式土器の時代に水田稲作農耕を行っている遺跡がほかにも確認されていることから、今日では「弥生時代早期」と呼ばれ、日本最古の水田といわれています。
板付遺跡は国の史跡に指定
また、この水田は環濠集落がある台地の縁をまわる水路から井堰で水量を調節し、取水口を介して水を引き入れていたと思われます。水田は畔で区画され、現在とほとんど変わらない構造をもっていることから、水田稲作の技術の高さがうかがえます。これらの成果から、板付遺跡は昭和51(1976)年6月に国の史跡に指定されました。
板付遺跡の周辺図
板付遺跡は福岡空港のすぐ近くにあり、復元された水田や弥生人の足跡などを展示した資料館があります。ここから金隈遺跡までは車で10分ほどの距離です。せっかくなら併せてめぐりたいですね。
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